遺歌集

商売で全国の得意先を回っている時に汽車から見える風景や人々との会話を題材に短歌を詠み、短歌という方法論を用いて、人生の喜び、悲しみ、楽しさ、苦しさといった人の生業、自然との触れ合い、さらに生命とは何か、永遠とは、など色んなことを鋭く洞察し、それを歌に託しています。
晩年には徐々に病気・死に対する不安や苦しみ、これまでの人生を振り返って、必ずしも明るくないものが多くなり、悲痛な叫びと思われる歌もあります。


遺歌集

 動脈瘤の入院

動脈瘤不治の病と告げられて語らん思ひもたぬすがしさ
治すことを思ふ用なき病にて朝は朝の光り浴びをり
明日のこと思ひ煩ふことなかれ煩ふ用なき病に罹る
酒少し塩分少し魚少し老ひし体はおのずからにて
おもむろに歩み運びて咲く花の透きゐる白を眺め病みをり
今生きる思ひに喉を下りゆく渇き癒やせる冷えし水あり

新たなる芽の出るところに枝曲り大樹は空を覆ひ拡がる
墓石を抜け出る如く光り曳き蛍は闇をさまよひゆきぬ
この広場に埋立てられし沼ありてえだらにどんこすみてゐたりき
餌を獲る頭と口の大きくて山池のどんこ肉のやせたり
山池に頭の大きなどんこ居て肉の少なき胴をもちたり
埋まりてゆけるいにしえ神の名の残りて土のわずかに堆し
生きし日の眼をかっと開きゐて魚は店頭に並べられをり
死の淵の深さ覗きて生きてゐる日々の高さに思ひの至る
死の淵を眺むる眼を返しゆき生きゐる高さ限りのあらず
毒もつと標示をなせる黒と黄の背を輝かせ蜂は屋根越ゆ
忘られてゐること淋しさ淋しさを超えん呼吸をながく吐きつつ
己が歌に見出でたる魔にたじろぎて陰うつな歩みを運ぶ
二百億儲けし記事を読みてをり御飯にすれば何杯だろう
ふかぶかと羽毛の布団にくるまれて朝の十時に目を覚ませるか
鳥は木に森は大地に昏れてゆきくらめる声もいつか止みたり
露いりて葉末に置きて降るとなくはるかな塔はかすみて並ぶ

開きたるてのひら乾きてゐるなればてのひらの歌作りて寝ねん
年重ね空にそびへてゆける樹をかすみ初めたる眼に見上ぐ
殺すことを意識して殺す年となり壁に止まれる蚊をたたきたり
大空のはてなく深きを見上げをり鳶一つ舞ふさびしさありて
塗箸に挟みしに煮豆の滑めり落ち記憶はるかな力ある指
新緑の霞みて淡くそよぎゐる光りを時に内にこもらす
たたなはる山はもやひにうすれゆきはるかな稜線一すじ青し
庭隅に白く覗きて草の芽の土割り出づるは力の強し
窓を拭きて虚ろな我の眼の写り外は夕の山暮れてゆく
何処にも我は用なきものにあれ夕の闇に包まれてゆく
一に金二には歌作得ることの易きを順に挙げて思へば
限りなき深さとなりて山の池さすらへる目に青く澄みたり
幼な子とたはむれたくて正月の雪はふはりふはりと落つる
半眼を開きしままに動かざる眼ならんと坐りゐるかな
うねりつつ競ひ流れてゐし水は淀みに入りて木の影写す

ひらすらのみに彫りゆく木片は怨める鬼の面となりゆく
恨みもつ心を面に刻みつけ清しき顔に立ち上りたり
残りなく恨み刻みし鬼の面作りて清しく立ち上りたり
抱えたる頭より落ちし雲脂の跡汚点となりゐて本の在りたり
飯食ふと立つときのみの正確になり来しわれよ笑ひの苦し
よべ降りし露を置きたる庭の木の青あたらしく朝光差しぬ
双の手を合はせて頭垂れてゆき伝へ伝へし神への祈り
運命を垂らす紙札木に結び石の階段人等下りぬ
運命を告ぐる紙を見せ合ひて各々己が歩みを運ぶ
舗装路を割りて出でたる草の芽の細く淡きが光りを透す
新らしとは如何なることとあぐみゐて窓開けあらたな空気を入れぬ
流れゆく水は光りを躍らせて早苗を植ふる田へと入りゆく
波立てる水は群れゐる魚にして池に沿ひたる坂下りゆく

空映す水を張る日に田植機は見る見る早苗挿してゆきたり
桶を抜くと布令のありたるこの朝光りうねりて水の流るる
畦直ぐく区劃整ふ田の並び流るる水の淀みのあらず
水渡る土を均せる機械見え水平かな田の面を開く
早乙女の並び植えたる記憶もつ田植はちらほら機械が動く
二、三日に田植の終りて一望に早苗のそよぐ田となり並ぶ
得る金は機械の代に消えゆくと笑ひておりし泥を落せり
しずかなる微笑の如く夕波の白く光りて闇に消えゆく
雪落ちしばさとふ音の後絶へて涯なき闇に耳の澄みゆく
明鏡はくまなくしわを映しをり我におぞましく我ある勿れ
とこしえを現はし居らん我なりや鏡の中を歩みて来る
夕されば床机を出してながながと寝そべり風に委す目を閉す
重なりて居りし葉を分け花びらはおのが姿を開き咲きたり
生れ来し故のあはれの動脈瘤病めるは生きる証にあらん

空洞となりて老木立ち居るを過去うすれゆく我の向ひぬ
たるみたる肉塊ようやく運び居り八十余年生き来る果
破れ易き紙にてはなを拭ひたり我より出ずしもの疎ましく
儲けたる金は何する当もなし売るのは高く売らねばならぬ
覚えざる男が話かけてくる過去を引摺り生くるの一つに
春の日の営として花敷の落ちし跡より青き実の覗く
包丁にやすく肉の切られゆく泳ぎもちゐし柔らかなるは
訃報あり君はこの世に居らぬなりわれはわが死に思ひの沈む
うかび来し君の笑ひて居りし顔訃報を机の上に置きたり
怖いから怖くないといふ言葉間に挟み死を誇りをり
天つたふ差して来れる億光年星の光りはわが目に届く
平かな池の面の一ところ魚の群れゐて波?みなし
小さなるつぼみと思ひゐたりしが重なる葉を分け花開きたり
タイヤガラス青く輝き窓外はもゆる日差しに早苗のむかふ

水の香を胸に満たして白鳥を象どる船は風を切りたり
八王子神の名のこり池にdすむ魚は異国の種属の住むと
太き杭打ち込まれをりゆるぎなきものを詠むべきわが歌の為
毒と聞く茸が今日のふくらみをもちをり即ち蹴り飛ばしたり
突風に飛びたる帽子に足早め弱りし脛に思ひ移りぬ
太き茎大きなる葉にひまわりは夏の日差しをむさぼりてをり
おのずから出でて来れる言葉あり己れ充たして一人ゐるべし
水底の意志の光りて泳ぎゐる鴨にゆれゐる影の届きぬ
光らざる電池をおもふ電池入れ光り放てる灯り携げつつ
夕焼けの詞に赤く夕焼は唄へる声とひろがりてゆく
澄む水の底を知らざる青き水たたかふ我となりて立つかな
報ぜらる世界の流れ株の値の資料となして我は読みをり
株の値に写して動く世の流れ読みつつこれに過ぎるはかなさ
散りてゆく日の近づくを知るようにうすき花びら震へてゐたり
くれなひの花体一片ひとひららを散らして風は走り去りたり

黒雲は憎しみもつごと急速にふくれて空を覆ひゆきたり
雷鳴が黒雲おこし黒雲が雷鳴呼びて窓を震はす
わが乗れし汽車の向へる山蔭にとびゐし鳥は消えてゆきたり
戦場になりたる後を基地となり骨髄に生るる平和を叫ぶ
共産圏に直と向きたる沖縄の宿命おもふ戦場に基地

 恐竜ブーム

巨きなるものへの憧れ亡びへの怖れに恐竜展の賑はふ
この地上制覇なしたる恐竜の亡びに人の運命を思ふ
限りなく肥大なしゆく生命の終え亡びし恐竜嬌りに生きし
恐竜の怪異の姿眺めつつ人は共存へ思ひを運ぶ
大きなるものはいよいよ大きくなり亡びにゆける運命をもつ
この地上わがもの顔に歩みたる大きな骨を怖れに仰ぐ
人間よおごる勿れの声聞ゆ亡びし恐竜の巨き骨より
人間の極まる栄華如何ならん形に亡びの来るかは知らず
木の蔭に水を見てゐる人のあり散歩の足を寄せてゆきたり
突然に蛙跳び込む音立て春行く堤に一人なりけり
ひるがへる葉裏の白くはつなつの風は谷間をかけのぼりゆく
木の枝を雀飛び交ひ散る光りわれは出でゆく帽子とりたり
梅の実の尻円かに育ち着て山の緑は盛り上りたり
飲む水はほてりを洗ひて散歩より帰りしのみどを流れ入りゆく

喉過ぎる冷え明らかに散歩より帰りし胃腑に水の入りゆく
貫きてほてりを洗へる喉となりコップの水を仰向きてゆく
産卵に躍る魚より生るる子をブラックバスが全て食ふとど
目が覚めて窓に差しゐる日の光り布団を跳ねぬおのずからにて
殻を脱ぎ羽根もつ蝉は濡れをり目に展けたる果しなき空
殻を脱ぎし蝉ははるかな森蔭の鳴きゐる声に向ひ飛びたり
生きものの眠りを抱く夜の森明日の命は闇に養ふ
一人なる故に大きな我となり果なき空を眺めゐるかな
かへり来し田鮒と思ひ眺めしが動き早きは異国種らしき
鮒の子を食べし草魚の稚なきをブラックバスが全て食ふとど
戦のひもじき記憶食卓に並べる皿の何れか夢か

 柳生の里

杉の根の露はに階をなせる径登りし処に石仏彫らる
足止めて水引草と言へる声赤く小さき花を並べる
聞き及ぶ峠の茶屋は屋根古りて床机二つを店前に置く
狩野派らし描ける襖覗かせて終りたる年に柱痩せたり
編笠を被り大刀横へし武士の思ひに床机に掛けぬ
草餅を並べしままに人見えぬ峠の茶屋は風渡りゐて
おとなへる声幾度に出でて来し女あるじは手を拭ひつつ
その昔武士も食ひたる草餅の味はひ互にたたえ合ひつつ

伊賀甲賀柳生武を練る人の住み伝へ来りし史のかなしさ
明らかに底ひに白き砂ゆるる柳生の川は声挙げて見る
万珠沙華陽を浴び咲きて水清き堤は昼の弁当開く
戦にそのままとりでとなる構え家老屋敷は山を背にして
陳列をされし伊万里の皿の彩乏しく家老は暮していたり
大名となりし子孫の蔭に見え石舟斎の墓の小さし
案外に細き体をなしゐしと鎧の前を女等過ぎぬ

 死

生命が二十億年の営みに己れを否む死を見出しと
生命が死を見つけしは大きなる生きの姿を現はさん為
米飯も家も着物も死に克たん永き努めに見出しものぞ
慈(じ)とは生悲(ひ)とは死にして死を救ふ思ひ自ら慈しみにて
絶対に我を否みて死のありぬ何うもなし得ぬ運命として
青写真の無数の線が秘むる夢機械を下げし二人上りぬ
この山の変ぼう秘めし設計図二人の男指を指し合ひぬ
設計図眺め語れる男あり夢と現実を交換のため
設計家の頭の中に街のあり図面担へて役所を出ずる

 目 七首

目より鱗落つる如しの言葉あり常に鱗の貼りつくらしき
もの見るは目のみに非ず声のする方へ視線の走りてゆきぬ
ものを書くペンの先にと目の向ひ時には閉ぢて言葉を探す
生きてゆく営み常に目を誘ひ営みは永き努力をもてり
向ふ目は営み永き人類の苦難を越へし努を持てり
より大き命に向ふ眼にて工人画家の奥に住みたり
時永き努力住まはす眼にて永遠なるが己を開く
いつ死ぬか判らざれども一応は来年暮らす計算もする
目を閉ぢて全ての象消へゆくをわが残生の末何かある

 繁華街

哀歓の熱きがままに劇場をなだれて人の出でて来りぬ
哀歓を劇場の席に操作され人等生き生き出でて来りぬ
幕しゐる自然の情緒淡くして狭きホールの階段登る
フィクションの摩天楼として都会あり押し合ひ人等肩を並ぶる
食堂街電器街など区分され人等技術を競ひ合ひたり
空高く昇りてゆける観覧車作りしものが歓声つくる
未来より返り見すれば現在のこの混沌も斉合ならん
何の空も人の感覚操作して生きると?めく看板見上ぐ
繁華街写すテレビを見終わりて大きな空を仰ぐと出でぬ
透明の秋の空気の流れ入る人呼びしばし語りてゐたし
枯れし葉の走れば湧きし若き日の流離の心も過ぎて果てたり
何故に草は笠形なしゐるかなどを思ひて山路過ぎたり
大きなる鳥の目の絵の掲げられ雀を追はむ威しとなしぬ
薬とは毒の適正な利用なると人は不幸を必要とする
紫の光りひそかに吸ひ蓄めてすみれの花の庭隅に咲く
饅頭を半分食べてしまひをり去年より小さき胃袋となる
一つのみ花を掲げてコスモスの生へて来りしつとめを果たす
鉄塔は夕日貫き風凍てる秋逝く山の上に立ちたり

 苔寺    三首

寒き日に耐えたる苔の固き表皮茶色となりて低く地を這う
もれて来る光りは歩みに移りつつ一すじ苔の生えぬ道あり
老ひし木に光りかすかな斑を作り観光客等声をつつしむ

 言葉(一揆に思ふ)

荒れ狂ふ一揆も旧きに収まりて革命に思ひ及ぶことなし
何故に民衆蜂起の一揆等政権獲得に向はざりしや
公と民差のあることを当然と永き収奪に耐へて来りぬ
民衆の蜂起なしたる一揆群自治持たざりしは言葉なき故
自由とふ言葉輸入し民政とふ体制もつに目覚め初めぬ
一揆して立ちし農民収奪の公に向ひたたかいたりき
農民は生かさず殺さずとふ言葉負はされ収奪されてゆきたり
物流を舟が担ひしその昔日本海流が文化運びし
韓国や中国船のおのずから日本海岸航きしならずや
生きてゐる今の人等が作りゐる世界と思ひ幻想を止むる

 誉田懐古 十一首

塚幾基舟木蓮を伝へたり風にすすきの葉鳴りひびきつ
陽を葬る木舟石舟作りたる舟木蓮と記されてあり
葬りたる日の神天照大神否天照御魂太神
玄界灘越えたる舟を作りたり舟木蓮神功皇后の時
神功皇后如何なる夢を結びしや玄海灘征く舟木の舟に
加古川の流れは今より清かりし統べおりたらん舟木蓮は
住吉の御旗なびかす舟木氏の此処に住ひし彼処にありし
番といふ地名は勤番の匠より出で来りし母は語りぬ
勤番の匠となりて上りしと葬りし塚も田畑となりぬ
槌の音昔も今も変らざる音とし思う番匠思ふ
そぞろゆく雑草のみが変らざる千年の前千年の後

 食

太陽と大地の成れる有機物日々に排摂もちて育つぞ
水を飲み飯食い糞尿泌り出して日々の育ちをもてる体ぞ
他者を食ひエネルギーとして更に食ひ営み永く成りし体は
他者を食ひ他者に食はれる時永く体の機能もちて来りぬ
他を襲ひ他に襲はるる時永く口や手足の現はれたりし
身体の水分六十五パーセント地表と同じ比例もつとど
弱き肉を強者が食ひて鍛へたる機能ぞ生きる身体にして

 食 その二

前肢が手となり中枢神経に言葉の生れて物を作りし
手の操作言語の記憶が物作る働く人をあらしめたりと
こく物を作り蓄へ更に物作らん知恵の生れ来りぬ
食物が豊かになりて人の殖へ人殖へ更に食物作りぬ
道具など体超へたる物作り耕して更に食物得たり
退きたれば満ちくる波の慣はしに今日あり一人の窓と言へるも
労苦せし人の所得の少なきをひしひし玉葱晴ひかへる
眼窩のごと窪み明きたる錠剤をのみたるごみを集め捨てをり
人生を意識の深さに求めたり全て捨てたるところに生まるる
日々に黄の色増して稲の熟れ光り明るき秋原となる
繊維街食堂街など岐れたる機能に都会の賑ひのあり
食べ頃とすしをもらひぬ生鯖と酢と塩と飯の時に順れしと
人間は物質にして細胞にて動物にして英知をもてり
床下の闇に逃げたる猫の目の向くる憐光生きねばならぬ

(重)山の辺の道紀行   十首 ほか

晴天となりたる事も善行の故にて高く笑ひさざめく
花見なぞ次の行楽奔放に拡げ合ひつつ車は走る
楠の若葉萌しつ落つるべき葉群は濃き蔭をもちたり
帽に陽の映えゐる三、三、五五の群古代の道は細かりしかな
山の峯重なり合える此処忍に神武迎へし人等のありき
背の森の未だ萌さぬ翳黒く景行陵は柵を閉せり
信楽の陶の狸に似ると言うあれよりスマートと自負しゐたるに
蹴り殺す相撲に昔はありたりき野見の宿弥の社に詣ず
花かざし大宮人の行きし跡昼餉の酒は差し交し飲む
コーヒーを長谷川さんと出しくるる大和大原春陽亘れり

目を閉ぢて我の知らざる我のあり友の一人の訃報が届く
夜更けし居酒屋に老ひし酔漢の喚ける憎し喚き得るよし
そよ風の流るるままに水光る原の平らな池に出でたり
闇に向き吠えゐし犬が我を見ぬいのちの在処互に知らず
仰臥して煤けし太き梁架かる逝きたる母の声祖母の声
手の玉の書かれし紙札さされいて睦月の池は祀られており

23

石の角正しく並び墓石は葉の散り落ちし冬山に立つ
石肌の冷えて居らんと距離をもつ眼に香黄もちて立ちたり
何の家も瓦輝き建ち並び戦知らぬ脚伸び歩む
戦の諾部などと書く文字も見えなくなりてよぼよぼ歩む
埋め立てて魚ら滅びし空間の人行き交す高きビル建つ
地球儀に赤く塗らるる細き島我の何処とペン先に指す
奪ひしと言はば言ふべし海なりしところに広く土を敷きたり
地球儀を廻してわれの在処指す住めば都よ地球の最中よ
落武者は斯くの如きか野焼せし樰の木棘の焦げしを鎧ふ
霞ひくはるかな山となり来りきらめく光り原にこめたり
登りつめし尺取虫は頭ふりそらに伸びしが下りはじめぬ
窓に鳴る風音空に走りゆき肩を屈めて扉開きぬ
うまし子をうごうと名付けひたすらに内なる闇に向ひゐたりき
粗き皮割れて老ひたる木に寄りぬいたはり合はん心さびしく
火と煙競へる畦を若者の姿はしりて冬草焼かる

はしる火に春を呼ぶ使い焼けてゆく枯れたる草の?になりけり
黒き灰畦を覆ひて去年の草焼けたる跡を歩みゆくかな
きらめきて春来る光りの差しゐるを農婦素直に眸に写す
未知の地は囲む山並越えあり散歩ににちにち歩む道ゆく
のぞき込み何買うたんと手に触れて還れる我に老婆の笑まふ
しろがねに春ふくらめる猫柳女活くべく鋏入れたり
茫々と白一色の霧の中凝らしてかすかな道に歩みぬ
覆ひゐる霧の中なる白き闇凝らしてかすかに歩む道見ゆ
枯草は呼びを挙げて焼かれをり葉を巻きくず折れ地に伏して
つづまりはコップの中の嵐とど思へど口を挟んでしまひぬ
噴き上り光り散ばす水見えて昇りしものは落ちねばならぬ
丸き苔踏みて歩めり目の限り追ひたる日々もかすみ来りぬ
ながながと老女祈れり悲しみにつながりゆける凝固せる顔
寒風に服のそよぎつ釣糸を垂れて一人の男立ちをり
さすらひて古代祖先は生きたりと一人の室に不意に思ひつ

吹かれゐし枯葉それぞれ落ち着きて舗道の風は冷えを増しぬ
この川に魚釣りたりき橋の上歩み通へる今も覗きつ
陽炎の立つ草畦を見てゐしが歩まん足のをのずからにて
茜差す光りとなりて水面魚は競ひて跳びはじめたり
辺りなき室に光りの渡りゐて眼は光りを命となしぬ
茜差す光りに魚の跳び初めぬ太古に陸へ移りゆきしは
茜差し跳びゐる魚は水離る光りと眼の関り知らず
茜差す光りに魚の跳べるときわれは内なる飛翔と出逢ふ
命よ命水の面に茜差し魚の跳躍おのずからなる
しろがねの鱗光らせ魚の跳び差せる茜は空に亘りぬ
日差し蓄めふくれし夜具のふかぶかとはやき眠りを誘(いざな)ふらしき
太陽の日差しにふくれもち温く弾むが体に添ひぬ
温き日差しの恵みしみじみと干してふくれし夜具に寝ねたり
白梅のふくらむつぼみ玄関にありて出てゆくわが目を洗ふ
霧こめて足許のみが見えてゐるわれとなりゐて歩みゐるかな

春の陽がペンの先より照り出でる字がどうしても浮び来らぬ
満目の原の緑を眺めをり獄の記録読み了へし駿
春近き野のきらめきを竹内ひさゑ言へりそれより心して見る
いつくると思ひて居りし日となりて如何に過しか記憶をもたず
昇りゆく凧を見上げし少年は空の高さに瞳置きたり
せきれいは己が姿の写りたるこうしに亦も飛びつきゆきぬ
一つだけとつまみし菓子が半ばなく食べてはならぬ蓋を閉しぬ
襟に首埋めて女歩みたり後は人見ぬ冬の風吹く
冬の日を溜めたる垣の温しさに人待つ時を過しゐるかな
きらめきを増しゆく空に春来り野原に今日の緑ふくらむ
目は止めて楓の木木の紅を差し春となりたる光り渡りぬ
こまやかに楓の梢差し交し艶もつ赤き樹液登りぬ
艶をもつ赤き樹液の登り初め楓は細き梢末組みたり
のぼりゐる赤き樹液に艶を増し楓の梢こまかく交す

戸を開き他者にむかはん背を伸ばす我となりゐて歩み出でたり
この花を愛し育てし人逝きぬ艶をもちゐるわかき紫
紫の花艶やかに開きゐて植えたる人の三年過ぎたり
暴くなく過し来りし秘密なぞ保ちし皮ふのたるみ来りぬ
冬の畦露はに礫白く曝れ蹴り得ぬ老ひし足に過ぎたり
窓ガラスにひらめくライトの間の遠くなりて眠らん夜の更けたり
みひらきし大きなる目が迫り来て殺人事件の画面の進む
一日の総括として更けてゆく夜のしずけさに坐りて居りぬ
更けてゆく夜にかすかな呼吸なす闇はあたりを包みて来る
発つ鳥の飛翔はかつてわが腕にありしや果なく青き大空
日を溜むるなざりのありて目の通ひ風吹く池の堤過ぎたり
白陶の狐が灯りに浮びゐて夜を祈れる人の動かず
置くつぼが堪ふる内の闇ありて一人の室に坐りゆきたり
澄とほる水の傍を歩みをり一期と言はむ今とし言はむ

澄む水の流れの起伏凛々と言葉輝き反りて来る
春の日を蓄むるなざりに人食ぶる土筆は土を被きもたぐ
枯草の秀のすり切れて春近し釣人歩む細き畦道
蒼黒く去年の腐れを沈めたる水底に青き新芽が覗く
食はれざりし大根土よりのり出でてきらめく春の光りとなりぬ
すき焼きにつぶすと人等語りをり負けたる鶏は片隅に立つ
煽られてビニールシートははためきぬ風の狂へるままに狂ひて
音響を受くる螺旋に耳の立ち頭脳に暗く穴下りゆく
新聞に幼児虐待の報せらる平和日本の象徴として
白梅の白鮮やかに照り出でて日差しの渡る空を見上げぬ
歩み来し足横たへてながながと犬は眼を閉しゆきたり
細き目を開けたる犬は亦閉ぢぬ温き日差しの庭にわたれり
脛の骨斯く大きくて病み長き男が杖突き歩みて来つ
暖かき日差しずかに土に沁む蓄めてはげしき命生ふるや
届きたる日差しの中に忘れゐし拡大鏡が光りを返す

照り出でて室の明るみ密密とあまれしたたみのいぐさの青し
捲き上り音立て壁にたたきつけビニールシートは風に揉まるる
全てみなさざめとおもうしずけさは細くなりたる食に由るらし
足跡のくぼめる雪の降り初めて証は斯の如くはかなき
辛うじて寒さに耐へて歩めるを声をかけられからだふるひぬ
休みなく動きて居りし蟻潜む土の上踏み歩みゆくかな
流れ出る汗の力威何時か失せ顔にハンカチ当ててゆくかな
積上げし過去の手なれに運転手わが目危く荷物積みゆく
更けて来て窓を固める深き闇眠りの中に入りてゆくべし
夜の灯に深く頭を垂れて居り成せしことなく過ぎし日をもつ
うまきもの断ちたる僧の直ぐき首我はうつむき表をひからす
つながりてはるかなものに届く目をもつと晴れたる星空見上ぐ
億光年眼の繋ぐわが在処至り難くて星光降りぬ

両手突き脚をふん張り立ちたるに坐るときにはへたへた早し
究まりは宇宙を包む我となり星の光りの瞳に届く
筧より流れて落つる水の音収めて庭の木蔭のふかし
癒へたりと思ひ居りしに起き出でて機能と変らぬ足に歩みぬ
皮膚一枚距ててもてる内の闇動脈瘤のネガを説かれつ
春嵐に操る鳶の滑空の拡げし翼おのずからにて
高く低く春の嵐を飛ぶ鳶の拡げしままに翼あやつる
朱の受益のぼりゐるらし差し交す楓の梢に春の日の差す
待ち兼ねしものの競ひにつくぼうし頭を出して春陽わたる
目の渋り退きて手足のおのずから伸びもち起きる時間となりぬ
一夜寝し手足に大きな伸びをなし朝の床に起き上りたり
いち日を立ちてはたらく誘ひに障子明るくわが目に届く
傘形に梢は空に拡がりて日差し受くべきネットを構ふ

吊り下げしズボンの脛の歪みをりひと日はきたるものの疲れに
臥す床と草畦歩む日々にして財布が月追ひふくらんでゆく
貫きて闇を走りしサイレンの内耳に残り闇に消えたり
去年の草朽ちて水底に沈みたる黒き中より萌し来りぬ
作りしは天皇なるか時匠時又奴れい甍の高く
菓子なぞを食べる時間に過ぎてゆきおのれ所在の問淡々し
撰ばれてこの世に出でしわれなると霧混迷の中を歩みつ
眠れぬは眠らず居れの忠心と思ひつ眠らん瞼閉ぢをり
男たるは鍋の蓋とることなかれ俺は男に一寸足らぬか
肥りたり間食するなと言はれ来て今日は饅頭半分に割る
赤青の灯り競ひて俄のあり大きな闇の覆ひゐる下
青き水魚の棲まずと泥少し底に溜めたる渚を眺めつ
純白の挙りし花に朝日照りこの木蓮は母の植えたり
白き翅突如現れ闇を飛ぶ虫はライトの光りに直ぐし
饅頭を食ひ了へてよりとめられてゐる間食に思ひの及ぶ

皮のみに残り朽ちる大き幹そのまま今年の若葉を萌やす
或る点に来し秒針が光りゐて人無き室に循りて居りぬ
拡げたる翼のままに鳶高く気流はそこに昇りゐるらし
一すじの土のくぼみて草の絶へ人の踏みたる体重ありぬ
揮ふ鞭奴隷の肌を破りゆき丹に輝ける高殿建ちし
いにしゑの小舎震はせる雷鳴に弥生の人は集り耐へし
目の届く億光年のはるけさよ星我を作らず我星を作らず
平かな水の面を見たる瞳に机の本を開きゆきたり
ぎりぎりの間食ひなるらりし啄みて居りし鴉は羽根を拡げぬ
今日ひと日如何に生きしか問へるとき氷の如く坐るわれあり
羽根を博ち尚啄みてゐし鴉近寄る我に飛び立ちゆけり
紫をあつめてすみれの花咲きぬ母なる日差しさんさんとして
雷鳴の空を震はせゆけるとき縄文人の小舎粗かりき
石斧に日の降るさらば縄文のだだむき隆く肉を置きたり

殻の中に養ひゐたる飛翔力蝉ははるかな森に渡りぬ
紙切りしナイフがたたみに光りゐて童等去りし室のしずけさ
殻脱ぎし蝉はしばらく這ひゐしがはるかな森に渡りゆきたり
むくみたる瞼に細き目となりてしばらく本を開きたるまま
刻みゆく刀の先に導きの大きな静けさ云ひてゆきしか
一刀を刻み手現はる御姿に三度拝みて成りたる像ぞ
たたみの目こまかに並び夜ふかし眠らん灯り消さんと立ちぬ
いくつもの谷より水の集りて東条川は水争ひき
大きなる静けさ希ひ一刀に三拝したる仏師ありたり
みずからの力を頼み振り捨てて夕の道の一人なりけり
空覆ふ緑の凱歌反し合ふ日差しに原の一樹立ちたり
道傍に黄の水仙の一つ咲き歩める人の言葉を誘ふ
打ちし水乾きてゐたり跡もなく舗道を灼ける日の照りつけて
霜に萎え伏してをりたる葉の立ちてたんぽぽ黄に照る花を掲げぬ

太陽に向ふ黄の花一斉に掲げて春の光り満ちたり
たんぽぽの黄に照り競ふ畦となり羽虫は空に羽根輝かす
何ものの動くと見えし草蔭に大き蛙の我を見てをり
春の陽の原に渡りてあふみどろ溝の表を領じ来りぬ
寝ねて唯伸ばせしのみの手足なり八十年のしわのよりたり
澄みわたる山頂の上天空の果なきが見ゆ見えざるが見ゆ
歩み来し山の奥なる岩や木の時経し中に我は立ちたり
手を合はせ尊く光る月なりき祖母や母等と仰ぎ見たりき
窓の灯の次々消えて外灯の淡き光に夜更けゆきぬ
映画館なりし建物こわされて失なひゆける若かりし日日
花の絵が澄みで小さく描かれゐて虫殺す指の圧に押へぬ
照り出でて匂ひ漂ふ菜の花のありて春原歩みゐるかな
亦一つ思ひ出消され映画館建ちゐし土地の?されてをり
拓きたる人に吹きたる涼風か荒れし棚田の草をなぎゆく
春近く己を切らん日の差して痛みに落つる放したる枝

しわ深き手に人生論を開きゆく頭の中の僅なる?
戦に植えて絞りし人等死に菜種は堤に今年を咲きぬ
かたはらを車のはしり木蓮のはなびら白く散りて落ちたり
引ける手にそこより切れて這ふ草は葉の節毎に白き根をもつ
競ふごと木蓮の花散り落ちぬ地に着く迄の白き光りに
ひんやりと目が覚め出でし廊の枝春踏む足となりにけるかも
拡がれる花火に花火打ち上りひしめく人となりて見上ぐる
みどり透く葡萄一粒口中に潰して解けぬ本に向ひぬ
タイヤーの沈みて動きし泥の跡乾きて深き蔭をもちたり
われの顔眺めて飽きぬ不思議さに暮れゆく窓に写りゆきたり
暮れてゆく窓にわが顔写りゐて見なれし筈を凝らす目となる
ブランドと言ひて触れらるアメリカの小市民趣味に組み込まるらし
酸欠に大きな亀が浮び来ぬ泥の底ひにながく生きしは
短かかる命といへど亀ならぬ人に生れて来しこと思ふ
流星は輝き虚空に燃へ尽きぬ我の選ばん命なりけり8

若き葉は日に透き空を指してをり地に落ちたるわくら葉いくつ
金の砂撒きたる如ききんぽうげ我は王者の歩みを運ぶ
晴れわたる空よりはなびら降り来り歩み止めて山並眺む
たんぽぽのわたとび散りて簡潔に茎は春ゆく畦に立ちをり
瓜の筋いたく際立ち来れるを切らんと呼べし指に眺めつ
引き寄せて車の走り目指しゐる山は雲間に高く立ちたり
ひしめきて言葉群るるに原稿紙の上に正しく並んでくれぬ
ぐんぐんと引き寄せてゆく富士の単車は風を巻きて走りぬ
百年の蓄めし日光ごうごうと風を鳴らして松の立ちたり
補聴器を買へとすすむる友のあり聞こへぬことを楯となしゐる
買物を下げゐる靴の音高く女階段を降りて来りぬ
むらさきの光りを集め春の野にすみれは花を開きゆきたり
説明をされゆく水の美しく底ひに光る石の白あり
美しいと言はれし言葉に澄む水の見えて車は山中走る
春の陽の一日照りてあふみどろ領域拡げしほとりを歩む

作るもののこころはぐくみゆくべしと思へることもごう慢にして
他者否む若き日ありき散りへりし全て相似る林を歩む
黄にもゆる葉をふり落とし公孫樹至りし冬の簡潔に立つ
二本足で歩みもちたる進化論解放されし手にて取り出す
掃除され整へられしたたみの上本を散らしてわが室とする
振るひれが掃きて通へる水底の砂にてあらん一すじ白し
冬ながく地にひそみし咲く花の爆ひるが如く乱れ満ちたり
とぼとぼと杖にすがりて老人は死なざる故の歩みを運ぶ
死なざれば己れに生くるほかなしと杖にすがれる老人見つつ
みずからの中に悪魔を見たる日よながき記憶のひと日とならん
星と目のつながるものを追ひゆきて宇宙の初めに思ひの至る
新しき溝つけられて傍の沼は泥積み草に挟みぬ
山草を分ちて風の吹きゆけば昔はさわに葦生えたり
高手小手針金にしばり鉢植の松並べられ育てられをり

餌を咥ふ雀を追へる雀あり生きねばならぬ命もちたり
うぐいすの声に止まりし山路にて深き若葉は光透きたり
ひしめきて溢れる人の中歩む瞳動かぬ一人の足に
さざなみに水の面に平らにて夕のもやに?のかくれぬ
結局は家に帰りて誰も皆同じく眠らん散会となる
去年と似る言葉聞きゐる開講式終る時刻を時計に眺めつ
わし無茶こうん無茶言ひよる知っとんねんがひコップ酒飲む夜更けてゆく
稲妻の走れる度に見合せる瞳となりて止むを待ち居り
庭石をたたきてしぶき降る雨の寺にてあれば大きしずけさ
知るとふは悲しむこころ増すものと歴史の本を閉したる後
癒へて来て呼吸整ふわれの日々神はしずかにあらんとおもう
脱け出でし蝉殻のごと歌作りひとりし居れば老ひのふかしも
今一度生れなほすかと問はるればわが生涯は罪多かりき
水求め山さすらひし戦の記憶のありて水栓ひねる

反すうをなしつつ牛はい寝ねてをりこなれをらぬを体内にもつ
もの掴む指に開きて手袋は春逝く納屋に忘れられをり
冬の?研き落されて忘られし鎌は草切る光りを放つ
雷鳴は還れる音に響き合ひはしりて還り轟きわたる
雷鳴は鳴りたるときより響き合ひ返し返しておさまりゆきぬ
釧に見しは羨望なりしかはた恐れ石室ながく閉されゐたり
ひとの言ふつまらん言葉はそれでよしわれより出るは我慢がならぬ
流れゆく滴に肌を光らせて裸の木々は冬を立ちたり
雷鳴は山と山とに轟きを返し合ひつつ空を覆へり
兵従きし跡は千里に人見ずと伝へて広き平原ありぬ
灯をしたふ虫のとびくる夕膳となりてビールの喉を洗ひぬ
朝顔の青あざやかに咲き出でぬ眠りのひまに育ついのちは
暗黒の闇がはぐらむ朝顔の朝の光りを開きたるかも
眠りゐるひまをはららく胃腑らあり朝さわやかに目を開きたり

飾られしひな人形は人形師幾代重ねし端正にして
細き首写して立てる白鷺は動く魚を計る目をもつ
白豪の光り放たぬわが眉間足の先迄満たす息吸ふ
届きたる歌誌読みおへてよき歌は我が作らねばならぬと思ふ
空伝ふ黄砂含みし雨乾き駐まる車は斑点をもつ
草の生え枯るるが如き歌の数命保つは斯くの如きか
尾の躍り背の波打ちて鯉幟吹きくる風を汲みゆきたり
手に持てるコップの水のゆらげるが机に置きてさだまりゆきぬ
昭和とふ年号記憶に新しき思ひのありて手のしわ深し
はるかなる塔先かすみ春の日の差しゐる坂を下りゆくかな
あの池に魚は今も居るかなと老ひたる足に坂登りゆく
亡き母と重ねたる目に木蓮のはなびら白く澄みとほりたり
トラクター草刈る音の響き合ひ原にぬくとき光りわたりぬ
灼熱の光りとなりて這ひ出でし殺さねばならぬ大量の蟻
葉の裏の白一斉にひるがへり迫れる谷を風登りゆく
暮れてきてかすかに浮ぶわが家見へ点もる灯りが闇押し返す

目を閉ぢて見えてくる闇朝顔の赤きつぼみのふくらみてゆく
春光に直ぐく伸びたる脚となり歩巾ゆたかに歩みを運ぶ
小さなる星と蛍の飛び行けば光りはいつもはるかにありぬ
目が覚めて朝新しき光り射し包む布団を揆ねてゆきたり
日日に土に落せる影ふかく若葉は張るの光り盛りぬ
差せる日とわれの体温一となり原のみどりの限りもあらず
朝が来て昼が来て夜となりてゆき布団の中に意識うするる
混沌の闇に身体を横たへて朝新しき目を開きたり
引寄せし布団の中に目を閉ぢて深きカオスの中に入りゆく

26

さんさんと地に降りゐる日の光り走れる孫を手をひらき追ふ
見出しが紙面半分とりており清原場外ホーマー放つ
次々と接続ありし電車にて目を閉ぢ尿意とたたかひており
弁当屋に人の集ひてゐるが見ゆ即ち我の腹の空きたり
ひさぎゐる菓子をガラスに囲ふ上城主がもちし石高掲ぐ
己が顔くさして金得る漫才師一人の顔に家路を急ぐ
きつねうどん頼みて隅の席につく短歌一首出来たるが故
パンツよりしずきて走る男ゐて汗なき吾のひたひの熱し
亦報ず幼女誘拐人間の半ばは陰を負ひて生きゐる

戦ひもとうき日となり否まるる言葉をのみに語り継がるる
書店より楠木正成などの本見えずなりしを疑はれゐず
否まるる戦なりとも若き日を燃えたたしめし血潮にありき
戦ひし日を生きたりと眉上げて我は言はなむ若き碑として
手の熱く銃とりたりき否まるる戦なりとも血の真実は
否まるる戦なりとも戦友の流して死せし血潮尊し
光り見る眼窩の底ひはるかにて大観の富士北斎の富士
こわれたる義歯をはめいて傷つきし歯ぐきをいつとなどる舌あり
閉せしと思ひし窓が開きいて他人(目なき時他人目を怖る

自動車の起せる風も朝冷えて左肩よりおのずとすくむ
病気ではなきかと噂していしと宿めし炬燵の席を席を開け呉る
やや濡れし服を吊せし宿の窓明日は日の照る茜の兆す
この所堂のありしとやや高く車二台が駐められありぬ
言はざるに二本の酒が膳にあり宿れる常の慣はしとして
宮中の儀式に伝ふ十三夜風寒ければテレビにて見る
頬かくす帽子被ぎし人の立ちプラットホームは長く伸びたり
まばらなる人家が見えて東北のプラットホームは長く伸びたり
痛む歯にうどんを食ひて三日経ち菓子売る店も眺めて過ぎぬ

ながくながく板古る峡の湯宿なりき壁輝きて一棟建ちぬ
信号に止まりし隣の車より犬が顔出し瞳合せぬ
時計見つプラットにうどんを食ひおりぬぎりぎりに生きる事の楽しさ
発車ベル高く響きて走り乗る立ち喰うどん少し残して
くり返し口紅あかくぬりおりし女笑まひて鏡しまひぬ
飲みおへし酒のカップに今一度口当てあふぎて老人立ちぬ
並び走る車は玩具の如くにて我は己れに他者として坐す
若物と同じ心を思へどもテイシュペーパー分ちて使ふ
みの虫の殻に紅のなき事のすがしく山を下り来りぬ

戦の日の償ひも少しあり中華甘栗買ひて皮むく
指定席はたった五百円と妻のいふ五百円惜しみ商ひ来りし
予定せし時間どうりに商ひのすみて列車のゆれるに任す
前輪の土にめり込み捨てらるる用なきものにこうか借なし
穫入れのおはれば獅子の面被ぎ笛を鳴らして神楽来りし
コーヒーの中に入れたる練乳は湧きて浮びて け拡ごる
何の室も人が寝いて幼児の眞夜に泣き立つ家愛すべし
指示されて頬を寄せ来る幼児の温し廻せる手の小ささよ
子を背負ひ鎌の行商なしいたりき子に囲まれて孫を抱きぬ

どうしてもここに泊れと言へるらし早き方言大方解らず
きのこ汁刺身てんぷらなど並べ我に食はさん為に買ひしと
月末に金がなくなるを疑はず生きて夕餉の話あかるし
紅葉の燃え立つさまを写しゐし画面は車の渋滞となる
透明のガラス戸一つ距ていて肩をすくめし人等の急ぐ
肩すくめ霧に消えたる人ありて尾花はうすき墨色に立つ
霧こむる朝の窓にうすずみのあはあはとして人等すぎゆく
四、五本の並木の見えて霧覆ひ人等突如に現れ歩む
山薯が池に鰻となりたりき古人没して見しものあらず

巾広きカラー舗装の道となりござにひさぎし老婆の見えず
山囲む湯沢の街に降り立ちぬむしろにきのこ売るを見るべく
土つきしままに茸の並べられ筵に坐り老婆のひさぐ
悠なるかな薯が鰻となりしこと山池の水青く澄みたり
束の間に過ぎし月日と思ふときうるし紅葉は鮮かに立つ
花をつけしままに枯れしが挿されいて無人の駅の雨紋に汚る
ぬば玉の夜の底ひに目を閉ぢて果なく沈む体のありぬ
底ひなく脚より沈みゆくが如一日歩みし旅の臥床に
春と秋の商ふ旅にそびえたる鳥海山も竟かと見放く

いつの間に日かげさえぎる雲の出て体に沁みる風を伴なふ
おのずから地に瞳の落ちてゆき一つの言葉の背後を疎む
新しき飲食店の亦出来て幟幾本競ひはためく
飲食の人呼ぶスピーカー公園に今年の菊の展示はじまる
金の札銀の札など吊されぬ菊は日を浴び咲きゐるのみを
幾人の交せる言葉かしましく入賞の札はけられてゆく
コーヒーに入れしミルクが揆けくる吾がなさざりし歓声として
松の樹皮削られゐるは戦にやにを採りたる跡にて古りぬ
夕刊に株式欄のなきこともみちのく秋田の人の貧しき

投げ出して疲れし足を休みしが暫くにして行かねばならぬ
道端に黄菊白菊供えらる盛られてゐるは悲しみ深し
隣家より南京食へと持ちおりぬ貧しきものは乏しく足れり
己が家見えし時より老婆立ちバスは峡路の坂を下れり
痛みもつ歯茎を舌に触りゐて病めば望の身に関りぬ
癒えむことのみを思へる昼つ方思ひ返せるさびしさにおり
口開けて寝ねいしならん不態さや目覚めて舌の乾ききりおり
噛む事の斯く豊かにて十日まり痛みし歯茎の傷のなほりぬ
砂利を踏む音かへり来る夜の道吾を指したる星光ありぬ

雨雲の裂けて走るも目になれて冬の越路の出張おはる
襟立てて風を防ぎし十日まり出張おへし歩みをはやむ
教ふると従き来くれたる少年の指を差したるところに別る
歌人の名言ひて歌書く傍に来ぬ頼むしばらく黙っていてくれ
遠天の雲黒きてつるはしを上げて急がぬ工夫が見ゆる
雨雲の裂けて千切れて走りゆき岩打つ波は沫と立ちぬ
両脇を巡査が抱へ行く男かくさねばならぬ顔をもちたり
サルビヤの千の花穂はくれなひの高き揃ひて昼を咲きたり
舞台の面脱ぎゐる見れば我ももつ人前の姿一人の姿

わが鳥を光れる空へ発たしめぬ着きしは黒き杉の森にて
昼となれば飯食ふのみに過ぎゆきて列車にながく孤り乗りおり
東北と近畿の顔の類型のやや異なると見つつ旅行く
空黒く交叉をなせる電線に流るる力は人の生きたり
夕空に黒く電線顕ち来り灯りを点もれる家々の見ゆ
降り止みし道しろしろと闇迫る夕べの光をあつめて伸びぬ
昏れてゆく野に一すじの川見えて血よりも赤く夕雲映す
歩みきし足なげ出して旅ながき疲れにめぐる血潮のくらし
咲くよりも散りゐる花の多くして赤眞寂しきサルビヤとなる

複眼の如く灯りの点き来り人を呑みゆく夕街となる
戦に死なざりしかば走りゐる列車の窓に頬杖つきおり
捨ててゐしものをもちゐる友達に返せと幼は泣き声あぐる
ほうり込みし空缶の音大きくて夕べの駅に一人待ちおり
若き等の肩抱き合ひて歩めるをおのずと避ける瞳もちたり
地深く伸ばしゐる根よ靴音の還り来れる歩みもつ下
ストーブを切りてたちまち冷え来る夜の底ひにしはぶきひびく
庭先の松の緑も今朝出合ふ老ひては静かな呼吸となりいて
野焼して草のまとはぬ池堤広き面を水のもちたり

野を焼ける煙いくすじ立昇りおだしき冬の光り亘りぬ
野焼せし堤の僅に灰残るかくて昨日は過ぎてゆきたり
炎あげ燃えたる跡の平にて堤に灰のわずかに吹かる
ひよが二匹降り来てあたりを見ていしがわがもの顔に歩み初めぬ
一ヶ月手形の期日伸ばせしを黙し出せるを黙し受取る
ものの影あきらかに落す裏庭の今日は背中を屈めぬぬくさ
乾きたるタオルの風に動くさま見るともあらぬ縁のぬくとし
縁側にかくるは今日も孤りにてすきとうりたる冬蔭見ゆる
誰にしもあらざる吾と坐しゐつつ られし声ほめらるる声 245

千の根のからまりあえる地の中のありて冬原平らに展く
後頭にてのひら当てて考へゐる吾あり不意に戯画となりいて
しぎ二匹庭に来りて啄むをおさへておりし咳の出でたり
この朝目覚めざりせば我のなし水仙の白き花を眺むる
点りたる工事現場の赤ランプ停車をなすは死に結ぶ故
停車する工事現場の赤ランプ死に関るは人等の敏し
おらび合ふ工事する声今朝のなく黒新らしき電線架かる
こつこつとかすかな音の立ちゐるは我が心臓の図られてゐる
心電図は如何なるさまを示しゐん我が身体を我の知らざる

心臓の動きあらはとなりし図の我が読み得ぬを医師に渡しぬ
心臓を図る音のみ室にありしずかな呼吸をなさむとつとむ
裏庭に萌し初めたる芍薬の一年ぶりの赤き芽と会ふ
正常です医師に言はれて我の知るこのあやふさに門を出でたり
冷やかに棺の行くを見送りき死に関りのなきが如くに

35

不景気と雷族の絶えしこと偶然ならん静かなる街
癒えて来てしばらく命保つらし読みたき本を書店に探す
つかの間を揆けて散るを愛しゐて孫と夏夜の花火を囲む
一枚のシャツを着重ね増し来たるわが体温に出でてゆくかな
時ながき蔭に生ふ草少なくて大きなる木の下水のひそまる
ながながと倒産せるを語りくるるわが倒産をせぬ声高く
古沼に幾年継ぎて水草の冬を潜める黒き根が見ゆ
満開の桜の花の饒舌に君と行かんか言葉携へ
カーテンを閉ずれば個室開けたれば共同の場に病室のあり

見の広き池となりゐて鴨が押す立てゐる波が光りを交す
生きてゐることに過ぎゆくにちにちに病室の窓眺めゐるかな
吹き荒れしひと日の過ぎておのずから瞼垂れくる日差しの亘る
こめて来し霧にいただき高くして天に浮ぶは畏み仰ぐ
岩と岩囲ふところの波収め底ひに砂のゆれて動きぬ
白き壁目に立ち冬の街のあり葉の枯れ落ちし梢の細く
ほくほくと我は食べ居り焼栗の揆けし一夏の日差しの量を
羽搏きて窓を掠める黒き影鴉はねぐらへかへるをを急く
松葉杖立掛け夕焼見る人と窓に並びて没陽の赤し

彼よりもましとの思ひふと兆す病みゐる心衰へしかな
月光は落ちたる紙に白くして渡れる天の澄みとほりゆく
涙もつ体に生まれし不思議さに思ひ及べり涙ぐましも
海底に這ひゐし魚の大き口開きて箱に並べ売らるる
わたつみの寄す群青の波の背の鯖放られて土間に散ばる
流れゐし雲去りゆきて晴れわたり果なきものに瞳向ひぬ
煮魚の骨の数多を疎みつつ骨が支へし魚体にありぬ
芽吹きゐる下に枯葉のくさりゐて一年とふをわれは見てをり
散り落ちし枯葉の腐りゐることもいのち蓄めゐる大地を歩む

階多く重ねるビルの間に立ち円型のタンクのっぺらぼう
赤い舌窓より垂らすバーゲンの広告眉に唾つけるべし
指折りて正月迎へし幼な日の情景ありて床に臥し居り
靴下の織目を写す脚となりひと日はきたる靴下脱ぎぬ
けものらの眠れる夜を開きゆき電飾空に輝き循る

同化作用持たぬ葉群となり来り散りてゆくべき冷ゆる風吹く
おのずから葉の散り落ちる林あり身に受けるべく歩みを向けぬ
降りかかる散り葉の中に立止まり頭と肩を打たせていたり
かすかなる風に散りゐる葉のありて至り難しもおのずからなる
埴土に対き山を削れるブルドーザ人生きてゆく黄の意志は顕つ
ゆれいつつ我を運べる車窓にて老ひては移れるものを怖るる
たちまちに青き起伏の輝きて甘藍畑に日の差し来る
与へらる死の有りようを問ひゆけばみずうみは夜の眼を開く
曇天に田は一さまの平にてもやひし山に車窓近ずく

世の中の知らぬ命をはしらせて逸らせて酒の喉下りゆく
重なりし水のひかり交し合ひ扉を開けし瞳に展く
重なりし水のひかり交し合ひ冬の朝の明けて来りぬ
霜の禾冷えに鋭く戸を開けし我に争ひ襲ひ来りぬ
夜の間を樹液が運びしふかき青朝顔の花開きて居りぬ
文字綴る力の未だありたりと点滴の管外されし後
三合の米にもならぬ程の落穂老婆は手はかかり拾ひぬ
枯れ果し原に瞳の遠くして空を分てる稜線濃し
日の光り一日届きし棰の枝久しぶりなる素足に踏みぬ
足交互に出して行ければ結構と日向に腰を掛けゐる は
移りゐしいのち極まる原澄みて曝れたる草の白く輝きぬ
枯れてゆく草に追はるる身をもてば言葉をもてば冬の陽浅し

61

舞ふ独楽の舞ひ澄む如き目となりて一章読み了へ暫く居りぬ
思索こそ己れ開かん拠り処なると繁る瞳に肯ひてをり
死を祝ふインドネシアの葬式を読みをりながき慣はしとして
死を悲しむならはし日本になかりしと佛教が伝へし無常の教へ
泣き女などをつくりて中国は死のかなしみを儀礼化したり
キリスト教は賛美歌唄ひ神の下に行きたる者と奏して送る
不死鳥の説話つくりてエジプトは不滅の国に行くと信ぜし
死者をして死者葬らしめよキリストはおのれ尽くして生くべくを説く
幾片の桜紅葉が日に透きて澄める山路の空にかかりぬ
同じような歌を作りて月々の歌誌に出しをり呼吸するごと
相似たる料理を毎日食べて居り作れる歌も斯の如きか
土器作る手をもつ迄に人体は三十億年余り経て来し
羊水は海水に成分似てゐるとたっぷりつかり育ち来りし
胎児となる始めに出づる斑点は海に生きたる鰓の痕とぞ
胎児にて育つ途中に尾が生えて消えゆき人の形となると
単細胞・多細胞・海中より陸と転じて人に生るると

笑み交す今のわれらは三十億年生死経て来て成りたるものぞ
限りなき過去の生死に作られし体と思へ言葉と思へ
細胞の六千兆は時ながく人営みて積み来しものぞ
百年の生死を嘆くこと勿れ数十億年人と成りたり
被きたる如く重なる雲覆ひ雨徐に結び降り来ぬ
この我の差す手出す足いと深き宇宙の姿と思ひ生くべし
這ふ毛虫飛びゐる蝶の断絶と連続神に至るほかなし
ものを育て作るは機械がなしてゆきテレビは美味を求め継ぎをり
走る脚鍛へしこの坂斬合ひの竹切れ携げて友と登りし
日々に澄み高くなる空明日も咲く露草ふみて帰り来りぬ
お茶と言ふ声に忘れし作歌なり思ひ出せぬは佳き歌にして
嘆きゐる言葉何処より来りしか思ひ追ひゆき嘆くことなし
大きなる傘にいくちのどうさい坊年老ひたれば蹴らずに過ぎぬ
閉したる書斎の中に一夏に死にゆく蝉の鳴く声届く
稲の花食ひて太りし魚はしり流るる水は冷えて澄みたり

包まれし皮膚の内側はわが知らぬわれの命と病みて臥しをり
否応なく過去となりゆく我等にて仮装高社などの記事増す
皮膚の内は我の知らざる我にして薬店の棚見廻してをり
増えて来し電子取引などの記事知らず我より離れてゆくを
与へられし仕事を真面目に勤むるを否みて世界の情報社会開く
過ぎし日に積み重ねたる経験に残る命はよりて過さん
溜りゐるバケツの中の雨の了この降りに稲の稔り足るべし
必死にて漕いでゐるのだ残されまい時代の潮は流れのはやし
離りゆく時代の潮を眺めつつ生くべき己が姿をさがす
ののさんと拝みて月を仰ぎたりき十二進法も今に残りて
開墾の碑鳴らす風の吹きめぐれる草は伸びゐて粗し
暮れてゆく室に満ちくる闇の量動かぬ我となりて坐れり
西空に細まりゆける夕茜追ひ立てられる足に立ちたり
刻々と昏れてゆきゐる夕光に縛らる我となりて立ちたり
仮借なく窓に迫れる夕闇に眼開きて我の坐しをり

64

光りと影争ひてをり吹く風に波の起りし水の底ひに
おもむろに潮満ち来る遠き日の死にし肉親思へるがごと
利春さんこんな花でも見てゐると美しいなあと畦の老婦は
一つの花眺めてをりぬさまざまの光りと影の生れて来るを
ああ生きもの光りを生みて影を生み一つの花はひそかに咲きぬ
不幸にて泣くとふことの素晴しさ腰をかけたる石を眺めつ
生れくる光りが光りを生みつぎて一つの花の開きてゐたり
懸命に咲くとは如何なることにして一日に花は萎へてゆきたり
地の中の闇に生きたる永き時蝿は飛翔の殻を脱ぎたり
時長き地の中にて整へし飛翔か蝉は高く飛びたり
鳴く声に飛びし蝿ありはるかなる森を己の空間となす
飛ぶ蝉と殻もつ蝉の断絶と連続神に至る他なし
瓜の皮固くなりゐて日々の過ぎ亡びの秋の近くなりたり
瓜茄子を抜き捨て畑を整えぬ秋の野菜の種子を蒔くべく
蝉脱と大悟を言ひし佛僧の如何なる大空開かれをらん
結迦供座組みて修めし永き時蝉の地中に比すべきものか

わが命運べるものをわが知らず閉してをりし窓を開けたり
這ふ毛虫探して求め得べくなく光り反して蝶の舞ひ飛ぶ
這ふ毛虫舞ひる蝶を眺めをり同じきものといふを問ひつつ
棚の上に何かあるかと開くれば菓子なり忘れて度々買ひし
紙に見る澱滞をせるわれの文字良寛自由の筆跡に対す
争ひて生きし億年重ねたる月日の罪の量に我あり
過去を負ひ人は生きゆく争ひし遠き祖より体継ぎたり
欲すまま他者を殺せし戦なる時ありたりし心の動く
無制約者の欲望の底に棲はせて幾人殺すか知れぬ我あり
血に飢ふる刀のせりふ背負ひゐる歴史の重さはかり難なし
新聞紙二枚に亘る大写真五輪マラソン高橋優勝
わが知らぬ我の体は億年の営み重ねし命受けつぐ
思ふまま殺して見たき衝動の時に生れゐて平穏に居る
大悲心起させしめし大き罪歴史に流せし血の量のあり

投げつけし瓦微塵に砕けるを眺めて男頭垂れたり
見はるかす稲田は熟れに黄の映えて落?は今し山にかかりぬ
相似たる服に肩波動くとき各々異なる運命を持つ
風冷えて落?の赤しまだ生きて今年の暮れも迫り来りぬ
人間がつくりし幾つの色並びクレヨン箱に仕舞はれてゆく
並びゐる箱のクレヨン取出さる順番競ふ光りを反す
茜差す光りの中に赤とんぼ湧ききて並ぶ羽根に飛びゆく
箱の中にクレヨン数多並びゐて順番競ふ光りを反す
見る程に思ふままなる良寛の腕の動きし筆の跡なり
空えずき起る元凶とおもひつつ動脈瘤の薬服みをり
いのこづち棘をもてると柿の実の熟るるは共に奪はれんため
永くて何する命と思へるに薬を服みて安らぎをもつ
草生えし風化をなせる岩のあり老ひては時の永さ数ふる
梨の汁指の間より滴らし卓をめぐれる笑ひのひびく
身のめぐりおびえを撒きて蜂飛びぬ金と黒とのおのずからにて

次の世を担はむ嬰児眠りゐて過去となりゆく我等の覗く
音を立つパワーショベルのいつか見ず建ちゐし休暇の広き跡あり
唯二匹蛙が跳びをり波立てて泳ぎてをりしおたまじゃくしは
右やしろ左じょうどじ遠き日の迷ひ救ひし文字の崩れぬ
この山に径の分れて道標崩れし文字に苔の生へたり
求む気のなしと判りて言ひ負をしたる形に黙しゆきたり
吹き上げし水に灯りを反しゆき浅蜊は店頭の槽に棲みたり
幾度か偶然の死に出合ひきて生きゐることの他者より淡し
一糎一秒の差がもたらせる生死幾度か戦場に知る
見廻してすぐ傍にありたりき何時よりかくも視野の狭まる
読み残す西田幾多郎を開きたり向ひて死なん残る幾日
撫でる手のままに撓へる猫の背の潜む力を思ひてゐたり
殺人は次の殺人呼びてゆきドラマは心の必然つづる
今宵の虎徹は血に飢えてゐる背は負へる歴史のはかり難なし
開拓に流せし汗をわが知れば人逝き土は草の繁りぬ

拓きたる山に藷植え漸くに生きたる人も逝きて草生ふ
黄にすみて稔り充ちたる稲の田はひと日の熟れを営みてゆく
水面にいくつ雨紋のひろがりて低く垂れ来し雲の覆ひぬ
田を出でしズボンの半ば泥に厚し当然のごと歩み過ぎたり
大きなる荷物担ぎし背の曲りたゆみのあらぬ足に過ぎたり
たちまちに野山を渡る夕茜呼吸止めて我は立ちたり
布団干す屋根の並びて音の無し秋の日差はわたりゆきたり
うねり高く魚のはしれり異国より来りて地の魚絶へしめたるは
地の魚を絶へしめたるか立つる波見てをり秋の藻草枯る池
種子蒔きし上に砕きし土覆ふその暗黒に萌しくるなり
うねり立て水を濁して魚逃ぐるいのち動くを見んと来りし
草の種子抱きて冬の土のあり靴裏固き原を歩みぬ
土の中の闇に帰りて萌しもつ種子と思へり水を掛けつつ
かけてやる水を含みて育まむ黒き変ぼう土のなしゆく
発芽して大きく赤き花咲くを信じてをりぬ所以は知らず

一粒の種子にひそめる赤き花不思議を問へば問ふも不思議もありて
雲の間に昇りし雲雀の声渡る一切か無を我に迫りて
ふり返るすすきの原は光りをり車窓はたちまち離れゆきたり
怒りたる顔に仁王は立ちてをり慈悲なる寺の入口守る
生きるため食ふにはあらず食ふための料理番組画面につづく
茜透くうすき羽根にてとんぼ飛び秋の夕はなざれて暮るる
葉の枯れて種子を落せし草群は露はな土に帰りゆきたり
たちまちに車窓の景は飛び去りて眺むる我のぽつねんとあり
研ぎ上げし鎌の刃先を透しをり更なる完成目の中に住む
作る手と完きすがた求む目の乖離眺めて亦も砥に当つ
計画は死なざるものの如く立て暮れゆく一人の淋しさに居り
否応なく今を否まん成長を少年躯に潜まされをり
教室に古き太鼓の置かれゐて音こもらせる胴のふくらむ
こもりたる音にひびきて鳴るならん太鼓の胴はふくらみをり
一つの形生まん苦しみわが知れば鳴らん太鼓の胴のふくらみ

ゆるやかに曲るふくらみもつ太鼓胴を作りて過ぎし人あり
工人の賭けし命も遠く過ぎ古き太鼓は棚に忘れらる
過ぎ去りしもの放られて忘らるる人は同じく笑ひ語りて
置かれたる古き太鼓に流れたるときの相を我は見てをり
尾を消して生えくる足を秘めもつとおたまじゃくしはのろのろ泳ぐ
どんぐりは幼き時の円みもち廻せし記憶に転がりゆきぬ
マッチの軸さして回せし手の記憶呼びてどんぐり転がり落ちぬ
大きなる屋敷はあたり従へて竹組あらはに壁の崩れぬ
狭き道に古く大きな家並びしんかんとして戸を閉したり
幼な日の追ひたる記憶どんぐりは意志の坂道転びゆきたり
生物の見えざる水の透明に冬の一日過ぎてゆくなり