琵琶湖音楽祭

4月下旬の連休に「琵琶湖音楽祭」に行ってきました。無料の演奏会もあり、レベルの高い演奏に酔いしれ、お昼にはキッチンカーも出ており、春の涼しく心地よい琵琶湖湖畔の自然の中、キンキンに冷え切ったビールの味は最高でした。5演目を聴きましたが、特に日本人のビオラ演奏者を含む、ドイツベルリンで活躍中の「レオンコロ弦楽四重奏団」によるヤナーチェクのクロイツェルは緊張感がみなぎり至福の時でした。2024.4.30

破壊的イノベーション

最近、マスコミなどで「破壊的イノベーション」という言葉をよく耳や目にします。

これはクレイトン・クリステンセンというアメリカの経営学者が提唱し「持続的イノベーション」に対する用語で、主にビジネスマーケットの領域で使われてきました。イノベーションInnovationとは日本語で「革新」と訳されており、新しい技術などの発明を意味します。このうち「持続的イノベーション」とは、簡単に言えば既存の技術などを大まかのフレームワーク(枠組み)は変えずにいわばマイナーチェンジをするものですが、これに対し「破壊的イノベーション」は、概念をほぼ根底から覆すことを指します。昔からコペルニクスの天動説(地球中心説)を覆す地動説(太陽中心説)、フロイトの精神分析法、マルクスの科学的社会主義 アインシュタインの相対性理論など、従来の通念を180度転換する画期的な発想でした。最近ではOpenAIによるChatGPTは、それまでに思いもつかなかった人工知能による生成システムで、これにより我々のデスクワークの多くが恩恵を受けております。

私が中学生の頃に始まった「題名のない音楽会」司会者の作曲家黛敏郎氏は、当時流行っていた「ニューミュージック」のある曲(残念ながら題を失念しました)の楽譜を解析し、これをビートルズの「Yesterday」と比較討論されました。番組では「Yesterday」の最初の数小節はそれまでのとは明らかに異なる斬新なメロデイーであるが、「ニューミュージック」のものは「都はるみ」の曲などこれまでの日本の曲のアレンジに過ぎない。「ニューミュージック」などと命名するのは「おこがましい」と一刀両断に切り捨てられたのです。そのことは黛氏の鋭い視線と言葉からこぼれるキラキラとした知性とともに今でも鮮明に覚えています。

題名のない音楽会」初代司会者 黛敏郎氏 とYesterdayの最初の3小節(Wikipediaより)

似たような経験をお話しますが、私が1990年代にアメリカに留学していた頃はバブル経済が弾けたとは言え日本の力がまだまだ強く、アメリカ自動車産業の半分くらいは日本車が占めるという時期でした。あるアメリカ人の看護師さんから「日本人は外国の模倣ばかりして自国の独特の発明は何もない」と言われたのに対し、この時だけは根っからの「愛国者」になり、ソニー社の「ウオークマン」は画期的なもので市場を席巻していると反論しました。しかしながら、考えてみると当時のテープレコーダーを携帯用に小型化しただけのもので磁気を使って音声録音するテープレコーダーを発明したデンマークのポールセンやフロイメルとは大きな違いがあります。2023年の雑誌Nature誌に「Japanese research is no longer world class — here’s whyという衝撃的なニュースが載っていましたが、日本のシステムの問題だけではないのですが、「破壊的イノベーション」を生み出すような発想の転換や努力などが必要でしょう。

また先日食事会で、ある看護師さんが「連休に東京に○○のコンサート」に行くと言っておられ○○は今流行の男子グループですが、私が知らないことを言うと「長谷川先生、○○知らないんですか。遅れていますね」と反論されたのです。そばに居た医師が「長谷川先生は趣味が高尚ですから」と意味のないフォローをしてくれました。日本人の「同調主義」には勿論良いところもあるのですが、高校生の時にある本で日本人は微分的な発想をするため解析能力が優れている。一方ドイツ人は積分的な発想が中心となり包括的な見方をするということを読んだことがあります。また本誌で私の原稿を読んでいただいているある高名な先生から「長谷川先生は優雅ですね.風流人ですね」とか「よく本を読んでいますね。暇人なんですね」などと言われ、ステレオタイプの分析をし画一的な範疇に分類してしまおうという傾向が、特に学識の高い人に強いように感じます。こういった日本の風潮も関係しているかも知れません。 さて、今年の4月から「医師の働き方改革」という制度が始まりました。医師の健康確保と長時間労働の軽減を目的に、余計な残業を無くし定時に帰れるようにということです。勿論患者さんの容態次第で帰れないということもあるのですが、多くの医師は「学会発表」や「論文執筆」に追われて病院にいる時間が多いのです。時間外にこれらを他から強制的にあるいは自らに課して行っているのですが、このように自分を締め付けないで自由な時間を作って家庭生活や好きな趣味に充てましょうとという風に変われば良いと思います。また先日東京都はカスタマーハラスメント(店員が顧客から受ける暴言や無茶な要求などのこと)の定義付けを行い、全国初の防止条例制定に向けるということです。これを病院に当てはめてみると「モンスターペーシャント」の抑制につながるかも知れず、今後これらの2つの新しい制度によって医師の働く環境や患者さんとの関係も良好に進むことが期待されます。

(2024.5.1)

実験小説としての「源氏物語」

テレビの話題が続き申し訳ないのですが、今年NHKで「光る君」という大河ドラマが始まりました。多くの方が見ておられると思いますが、世界で最も古く長い恋愛小説の1つ「源氏物語」を著した紫式部の物語です。

昨年末「やばい源氏物語」という面白い新書が出版されていました。著者は早稲田大学第一文学部(競争率が高いが文系に特化した変人が多いので有名)卒業の大塚ひかりさんで、他に「毒親の日本史」「ブス論」「くそじじいとくそばばあの日本史」などがあります。

 著者によると「源氏物語」は当時としては画期的なものでまさに実験小説であるとしています。例えば、通常は美人を詳細に描写して登場させるのですが「ブス(大塚さんが述べておられるので、私はそれを引用しているだけです)」の扱いがヒドイ。美女の描写は実にあっさりしてますが、「ブス」の描写は異様に詳しく、「ブスの極み」というべき、3大「ブス」に「末摘花(すえつむはな:座高が高く、先が垂れて赤くなっている鼻、額が腫れていて痛々しいほど痩せている)」「空蝉(うつせみ)」「花散里(はなちるさと)」を挙げております。これでもかと言うほど徹底した描写をしておりますので、原文でも現代訳でもその個所を一度読んでみてください。また「霊」についてよく登場させており、それまでの物語では死霊は出てくるが、生霊(いきりょう)を登場させたたのは「源氏物語」が最初であるということです。当時は病気や精神的不調などは人に「物の怪(もののけ)」が憑いているとして、祈祷により生きた人から霊を追い出したりして病気を治していたのです。今のように抗生物質も抗がん剤がない時代ですが、祈祷で治癒する病気というのはストレスなどの精神的な要因が主だったような気がします。物語の中で紫式部は、様々な霊を「生きている人間が良心の呵責によって見られる幻影」であるとし、六条御息所の生霊が光源氏の正妻「葵の上」に乗り移ったのは、光源氏が過去に行った御息所に対するやましいことに起因する幻影であるとしています。その他、愛の確執と嫉妬、不倫は勿論、近親相姦なども描かれ、また天皇家と貴族、右大臣と左大臣、などによる政治的謀略も混じり、当時実際に存在した人々も時に実名で出てくるなど、あらゆる斬新な試みが含まれ、まさに実験小説と言えます。紫式部がテレビや著書では藤原道長公の妾(しょう、つまり愛人)であったとされており、その真に迫る描きぶりは見事ですね。

前月号本誌で小澤征爾氏のことを書きました。先日NHKの教養番組で「終わりのない実験~世界のオザワが追い求めた音楽」というのが放映されており、その中で彼は日本だけでなく世界の音楽界に対して重い責任を持つに至っているが、外国にいても常にはるか日本の音楽界へ思いをはせ、日本人が西洋音楽にどこまで挑戦できるかという壮大な実験を続けていると述べています。さらにベートーベンは当時新しい手段としてピアノが導入されると、様々な新しいリズムや旋律を編み出し、交響曲に初めてトロンボーンや合唱を取り入れ、色んな実験を行っています。その前のモーツアルトもオペラなどに革新的な試みをしています。このように新しいことを実験的に試みた先人たちの業績は歴史を超えて今も息づいております。
エベレスト山に初登頂した登山家ジョージ・マロリーは「何故山に登るか?そこに山があるからです!」という名言を残していますが、実験や新しいことへの挑戦のきっかけは極めて単純なことで「高い山に登ると見える景色が変わり、そこから見える次の山に登りたくなる」のでしょう。
アインシュタインも山中伸弥先生も「実験」を繰り返し努力した結果「相対性理論」「iPS細胞」の発見に至ったわけで、実験をして新しいことにチャレンジすることは、人間の本質である、生きていく原動力になると思います。私は今大学で大学院生の動物実験の指導を行っていますが、誰でもその機会は与えられます。ロスアラモスで原爆実験を行ったオッペンハイマーでなくても、小学生の時理科や生物の実験に目を光らせた思い出、おうちで新しい食材を使って子供たちに新たなメニューをつくる。これも実験の一つです。喜んでくれると嬉しくワクワクしませんか?
生物の自然発生し得ないことを証明するパスツールの実験「新大学生物学の教科書」より(2024.4)