とこしえに保つ形のまざまざと造花のそげく埃積みたり
自慢する隣室の声の聞えつつ畳目すぐきしずけさにおり
くくみ啼く帰りし鳩の声聞え見えゐし山は闇に沈みぬ
返品とふ事実の前に致し方なし釈明なさん刃先折りつつ
肩を並ぶ美女は呼びたるモデルにて友はアルバム其処より開く
天人といふを描けり地の上に生くるは余りに苦しくありし
摂食と排便といふこの原始了えて宿屋の玄関出ずる
出張の予算一応書き上げぬこれより少なくなさん思ひに
ロックする扉に押れて閉したる障子の宿に敏く坐しおり

青き帽子被りし女乗り来り工場の壁長くつづけり
ビニールに箒とちりとり包みゐる老女は駅を一つに降りぬ
うつうつと曇れる下に灰色の屋根と壁とが連なり建ちぬ
血を出してちんばひきひき来し犬の瞳は神の前に立つかな
灰色にこめて動かぬ雲の下影なきことも一人なりゐて
土に降り消えゆきし雪積る雪先後の違ひ我は見ており
笑ふとは盗ることなりし両の手にりんご持ち来て高く笑へり
刻まれし文字を風化に読み難く無縁仏は寄せて積まるる
捨てられぬのみに寄せいて積まれいて無縁仏は見る人のなし

角棒をかざせし学生運動とは何にありしか語るひとなし
黄にやけて学生運動を載せてゐる新聞ありぬ忘れいたりし
戦争の力の余燼と学生運動のありしを我は位置づけておく
安保闘争の誰も何時しか姿消し新聞時に赤軍を報ず
エンヂンの音の止みたる夜更けて枕の下に水流れおり
草枯れて小石の白き河原を流るる水も細くなりたり
降り初めし雨に濡れたる舗装路は曇れる空を白く映しぬ
おもおもと雪のこめたる並木道秋となる葉はなべて垂れたり
雨露を溜めたる花のくれなひの園一せいに光りをなす

細き雨降りゐる朝庭さきに濡れて明るき若葉のありぬ
散る前をくれなひ染めるうるしあり老斑浮く手に瞳を移す
このところ両雄干かを交えしと焼き捨てられし民家は書かず
この坂路信玄越ゆと兵糧を担ぎし奴もありたりしかな
コスモスの折れて他に咲く花も見えたけゆく秋の光り澄みたり
茶をすすりこはばる顔をやはらげて話し合ふべき言葉を出しぬ
ふふみたる光りのままに白き雲崩れず浅間の峯を越えたり
秋たける信濃の街に雨の冷え襟を合せて宿を問ひおり
とびとびの庭石濡らす細き雨先ずは炬燵のスイッチを聞きぬ

自慢話なし合ひおりし隣室の人等は闇に出でて行きたり
今の意味問ひゐる声す月明に黒くしずもる森の中より
馬車馬は視野を囲ひて走るとど我が一筋のおのずからにて
時折りに我を見てゐる目と思ふ新聞拡げたるままに坐す
車中にて書きとめざりし短歌あり思ひ出せぬは光芒をもつ
飢えに開く黒人の子の目の写り窓おもむろに闇が閉しぬ
あはれあはれ足と胃腑との弱まりて口すこやかに生きゐるあはれ
葉のなべて上に向きゐる凛々と宿の一人に菊活けありぬ
ふくらみし白き尾花の野に満ちぬ一つ一つが抱く陽のあり

目がさめて障子に差せる明るさに一夜積みたる雪のありたり
扉同じき上に室番貼られゐるホテルといふはまだなじまず
家郷より離るる街も人居れば老ひたる首を直ぐく伸ばしぬ
花の名を室名として異なれる様にかまへし宿の親しく
便所にて作りし歌は手を洗ふひまに忘れて旅をつづくる
目が覚めて宿のカーテン先ず開く今日は傘なく歩めるらしき
宿を出て光り隈なき今日の晴れ地の果てなる空を見やりつ
この吊橋を渡り商ふ二十年揺れに応ふる足弱まりぬ
黒き衣に背を伸したる人並び類型の死のここにもありぬ

我と行く白き雲ある原の道幼き時に暫しかへりつ
高原の冷えたる風に草薄く隈なき黄葉のそよぎゆきたり
高原の草の黄葉の隈なくて澄める光りの透かしていたり
げに病めるもののうすさや高原の草の黄葉は隈なく透きて
飛び交す蜻蛉の群は移りゆく山のみどりに翅のひかりつ
移りゆく蜻蛉の群を見送りて晴れたる空に瞳の深し
サルビヤの花は袋の形なす無人の駅に赤く散りたり
高原の空の青きを見る瞳真上に向けぬ首痛き迄
力もつものの迫らぬゆるゆると機械のショベル土に近ずく

計算をされし速度と思ふ時ゆるゆる機械のショベルは止る
走りゐる列車に尾花ゆれており陽光返すをたのしむ如く
巨きなる石の川原となりて来ぬ汽車は登板の音高くして
菜の垂れてとうもろこしの葉の枯るる高原すでに霜ありしかな
大きなる輝く駅として建ちぬ高原に若き等出入りの多し
高原の輝く屋根を見上げては載り断つ空の青さがありぬ
新しく建ちたる屋根と分ちゐて空の青さの限りもあらず
高原を拓きし苦節を我が知れば今一面のレタスの青し
肩に触るる空の青さと思ほふに鳥飛びゆきし深さは知らず

トンネルを抜けて沫の岩に立つ川の流れとなりておりたり
栗落雁折りたる固き手の応へ宿屋の室に亦折りており
車掌が降り切符受け取り乗りゆきぬこの駅前に店一つあり
大根の霜に凍てたる葉の青く冬を生きゐる光りを返す
かげり来て亦陽が当る車窓にて列車は山を縫ひつつ登る
抱かれてバングラデシュの児の写る大きなる目は飯を食はざり
あばら家に人住みおりし高原の瓦を葺ける屋根が並べり
植木鉢の底の穴より根の出ずを引き抜き元の棚に並べぬ
靖国の参拝否む記事のあり我は戦に死なざりしかな

順を待つ出張員の靴二足脱ぎあり鞄を置きて出でゆく
びっしりと詰めしカタログを出しており次の列車に乗るを諦む
積まれたるりんごのにほひ漂ふをあましと嗅ぎて店頭すぎぬ
茸採る人出でて来ぬ幹白き白樺の木も混る林を
後五分汽車が来りて乗り入るを疑はざるを人と言ひけり
散る前を真紅に染めしつたの葉は秋の光りを浴びて輝く
此処にのみ棲む蝶ありと掲げゐて幹に苔むす木立の暗し
承け継ぎし父祖のなりはひ七十の吾は信濃の雪を踏みゆく
よるよるを宿屋の窓の闇に向く永なる使者の言葉受くべく

灯を点けて窓に満ちたる闇のありとうき祖先の声を棲まはす
ひしめける誰もがもて死のありと瓶は造花の菊を挿すかな
にょきにょきと雨に出でゐる茸あり落葉の下の暗き土より
土の中暗きに種子を埋めゆく大きなる花やがて見るべく
暗黒に一夜埋もれいたるかな窓さえざえと明け初め来る
一日の葬りとなして床につく明けて羽搏つ不死鳥の為
満員と断られたる宿二軒残る一軒尋ぬと歩む
ボード板にびっしり鍵のかけられて人は互いに拒みて生くる
千の鍵並べ売られて距て合ふ生き態人は互にもちぬ

あきらかに草の紅葉をなしゆくを光り亘るはしばし歩まん
枯草をあたためている光りあり木の切株に腰を下しぬ
親と子と夫と妻とも距ていて鍵は冷えたる光りに並ぶ
盛り上り苔のむしたる根の太く宮居は一樹の蔭にありたり
年に一度祭の時に旗立つと宮居は落葉踏む人を見ず
木のそびゆ天辺に鳥止まりおり高き処は遠くが見ゆる
足低き歩みは躓き易くして老ひし背中を伸ばしつつ行く
買物の衣料見せ合ふ老婆達うんと良いんだの声を交ふる
飢えたるはけもののまなことなりおりし鎌を武器とす百姓一揆は

草を刈る鎌が兵器となりたりし雨の夜を行く百姓一揆は
あて途なき争ひに行く一揆の群握りしめたる鎌の悲しさ
走りゆく車にゆれて萩の原赤く小さきはなびらこぼす
寒風を避けいる前を氷菓食み高校生の声々高し
煽りたつ埃にトラック過ぎてゆき顔をそむけば我の小さし
取引をもつを得ざりし店なれど客の多きはそこはかたのし
旧道は黒ずむ家の並びおり幟の競ふバイパス過ぎて
夕暮るる池の畔に歩み寄り残る光を吾は集めぬ
わが顔を覚へておりし主人にて葡萄酒を卓に黙って置きぬ

吾一人なればと思う密々と世間といふは組まれてありぬ
輝きて灯り点もりし夜の街輝くものは利につながりて
離るれば水の流るるトイレあり手といふものが要らなくなるか
花の字は草が化けると書きたれば女妖しく歩み来りぬ
面着るが真の我と言ひきりぬ能の舞台を勤め来りて
一面のりんご畑は葉の落ちて寄すしき枝は年の経りたり
電線の黒く果てなく続けるを見ており夕べ疲れたる目に
アスハルト灼けたる道を歩み来て商人吾はほほえみも売る
乗り込みし列車の窓は昏れ初めぬ暫く瞼閉しておらん

出でゆくは即ち粧ほふ鏡の中ひたすら見入る女のまなこは
赤きところいよいよ赤く青きところいよいよ青く塗りて笑へり
口紅を鏡に引けば雄食みし虫の原始の詩ひびかひぬ
魂を鏡に置けば化粧なる女のありど かなるかな
みずからの顔の範囲をいつ迄も出でぬ眼に鏡に向ふ
その昔水に写して顔を見し山の乙女は化粧なせしや
丹念に化粧をしたる女にていそいそとして外に出でゆく
僧堂に女を拒む男ゐていと高きものをひた求めしと
女よ汝と何の関りあらん血をしたたらせキリスト逝けり

髪の毛が蛇となり来て争ひし女の話はとうく過ぎしや
今少しと片手に拝む演技してしばらくたちて金を受取る
寝返りをなす事も出来ず二十年病むあはれさも人なるが故
濁りたる水に泥鰌の浮き沈み峡の食堂他に客なし
さは蟹はうすくれなひの足をもち砂敷く瓶の隅に小さし
音楽の鳴る喫茶店逡巡の我の傍を少女入りゆく
歯の痛み昼はうどんと決めいしが美女多くして洋食たのむ
葉の散りて細き梢の並び立ち光りをふふむ雲移りゆく
隣室は宴の声の入り乱れお茶のみどりを吾は みゆく

やすやすと歓声あげて戦ひぬ今やすやすと戦を否む
寝返りに過ぎたる宿の夜の明けて血筋浮く目を鏡に写す
宿賃をはかりつつ行く夜の街灯りつつましき一軒ありぬ
降り来る雁の声あり青空を吾も渡れる旅人として
みずからの体温蓄めて旅の宿一人の眠りに就きゆかんとす
乗り入れし列車空きゐて鞄抱く手の老斑に瞳を置きぬ
二人ゐて見るものなべて明るくて真黒に近きチューリップ咲く
吾が歩み常より今朝の軽くして知らざる犬が横に並びぬ
わが魂すこやかなれば東京の犇めく人の群にたじろぐ

2015年1月10日