無題(11)

従客たる死の難ければ吹く風のままに流れる綿雲ありぬ
吹く風にうねりもつとき輝きて秋の尾花の原はありたり
五十軒の内十軒は空家とぞ出合へる人の多く老ひたり
目のかすみ耳鳴り疲れ動悸など薬舗のポスター見覚えのあり
鬼鐘鬼般若お多福いにしえの人等は面に托し作りき
いにしえのいのち定かに神楽面裡なるものを露はとなしぬ
鬼の面般若の面を作りたる心の修羅も継ぎて来りぬ
吾の死の既に定まりあるべしと一人の室に掌紋見入る
箸折れし事の不運に連なるる祖母の言葉も棲むはせており

巣立ちたる子つばめ低く飛び交し梅の実の尻丸くなり来ぬ
はりはりとらっきょう漬を食みており好み変りし歳月知らず
定まりてあると思へば掌紋の如何なる修羅も静かにあらん
金を包みお布施と書きぬいにしえゆ伝へてくれば当然として
夕雲のくれなひ帯びて来るより水の面に魚とび初めぬ
くれなひに光り差し来て跳ね上る魚に乱るる水となりゆく
水面に映りし茜掻き乱し魚は競ひ跳ね上りゆく
くれなひの光をしたふ魚群れて水の面を乱しつつ跳ぶ
夕光は空より水に赤くして魚跳び初めぬ数を増しつつ

茜さす光りに魚の跳ねておりもてる力の限りの高く
跳ねるべきいのちにありと夕茜亘る水面魚の繁し
夕茜水に亘れり今は唯光りに向ひひたすらに跳べ
葉の濃く花の小さき朝顔が畦に咲きおり野の花として
炎天に競ひ伸びゐる稲見えて水奪ひ合ふ白き根をもつ
荒廃をしたる山峡の田の見ゆる祖先が流せし汗の量(かさ)見ゆ
もぎて来し茄子をくりやに腐らしめ老ひし二人のたつきの続く
行き着きて終らぬ水や悲しみしはるかな人の声をのせたり
その指を反らして見つつこの反りの如何なる性を棲はせてゐる

掌に葡萄の房を載せており一粒一粒円らかにして
朝顔の花の萎びる十一時この炎熱を屋根に働く
口開き寝ゐしならずや乾きゐる舌の覚えにあたり見廻はす
深く反る指は如何なる性棲ふ一人留守居の部屋に坐しおり
ぬば玉の闇はありけり戸を開けて今より吾の踏み出すところ
若き日にいのちを捨てん戦を持ちたることの今をも充たす
弾雨の中いのち捨てんと進みたる若かりし日を今も肯ふ
死するとも惜まぬ命知ることのなき若き等はさかしく動く
栄ゆべき祖国の為に戦ひき若かりし脚すこやかなりき

祖国ありき戦に出でてゆきたりき若き血潮に激ちゐたりき
不機嫌をそのまま出してもの言ひき母故その母今はあらざり
流れいる水の生みゆく風ありて夏のたかむら深く澄みたり
この種子の紫の花秘めゐると今掌の上を転ばす
排気ガスに黒く汚れし並木道歩める人等足早にして
風化せる石に幾すじのみの跡見えて野の花供えられおり
草原に寝たる牛は大ひなる地と一つの如く動かず
頭欠けし野の石仏の苔むしぬ此処に願ひをかけし人あり
戸を開けて今日はてっせんの花ありぬにちにちの我が庭と思へり

幼な手をつなぎ抱へし住吉の宮居の松も枯れて跡なし
朝顔の花にちにちに小さくて秋となる空高く澄みたり
耕転の土返さるる田のめぐり白鷺いつか来りて立ちぬ
耕転の土返されて出る虫か白鷺群れて上を飛び交ふ
明くるとは物の象のあきらかになり来る事と朝に立ちおり
駅口をなだれ出でたる夜の影相似て吾は吾にて歩む
盛り上るコップの酒に笑ひ声挙げて居酒屋人の群れたり
盛り上るコップの酒を一息に呑み干し笑まふ顔となりゆく
二杯目の酒のコップを持ちしより話しを交す人となりゆく

コップ酒立ちて呑みゐる人見えて夜の灯りに濃き影をもつ
手にもてるコップに酒の注がれいて溢るるときに笑まひもちたり
爆竹の音の聞えて立上る休みの午後の肘枕より
かげり来る光りとなりてかますだれ花びら閉ぢてゆくべく立ちぬ
花半ば開きしのみのかますだれ朝より雲の雨をふくみて
昼前の光りとなりてかますだれ開き切りたり一斉にして
音立てて蝶とび来り夜々を宿屋異なる我のありたり
燈し火に音立て蝶のとび来り峡の旅館に今日は泊りぬ
廃屋はくされてかびてゆく臭ひバスを待つ間の雨の醸せり

細き雨直ぐく降りゐる肩の冷え草の枯れたる冬原広し
砂を巻き吹き来る風に肩屈むみちのくは冬の来れる早し
おろしたる篭に りゐし行商婦やがて寝息を立てはじめたり
藁屋根の傾く軒に吊されてとうもろこしは秋の陽返す
実の熟れて葉の散りゆくと柿の枝渡れる風の吾には告げよ
空を飛ぶ鳥一羽のさびしさに旅ゆく吾となりてゐるかな
朝々にふくらみ増せる鶏頭の花の真紅を庭に見ており
昨夜より数へておりし朝顔の花のむらさき先ずは眺むる
ふるとなき雨が濡らして黒竹の艶も庭となりにけるかも

いつよりか降り初めおりし雨細く濡れて明るき庭となりたり
うすべにの秋海どうの花つぼみ掲げて庭の軒蔭澄みぬ
咲き初めしうすくれなひの花明り秋海どうは軒蔭にして
むらさきのうすく匂へる花並びリボスは茎を長く伸ばせり
うつむきて少女の胸に鳴る動悸秋海どうははじらへるごと
単線の止まりながき乗る列車地ひびかせて特急越しぬ
素焼の壺土より出でて千年の時より今の声交す中
水深み水すきとをる湖の底ひぞ神をすまはせたりき
捨てられし缶に雨降り百の波百の修羅をぞ立たせていたり

思ひ出の悔しきものに声出でて何事なるかと妻の問ひたり
ガラス戸につきたる霧の寄り合ひてふくらみ露となりて流るる
重なれるかなしみに似てガラス戸に付きたる露は寄りて流るる
一片の葉とはこの木に何なりし裸の梢に風の鳴りゐる
木枯が吹きて散らせる万の葉の一つ一つぞ夜半に思へり
盛んなる同化作用を営みし葉ぞいさぎよく散り落ちゐるるは
夕風の膚に冷えて夏移り朝顔は種子を充たし来りぬ
障子開けて机に読みゐる本の見ゆ即ち我は帰り来しなり
朝顔のつぼみ開きてゆくふるえあかとき何処か祈られあれば

ねむの葉の合さりゆけばとうき日の母の腕もすでに忘れぬ
蒸気抜く列車の音に目が覚めて深夜の駅の広さがありぬ
草原に寝転び仰ぐ大空の広さに腕を拡げゆきたり
店前に送りし品の並びゐず売り切れたるか荷ほどきせぬか
目の合ひし店主のかかすかに笑みふふむこの度注文多きか知れぬ
他店より新たに入りし品並ぶ如何なる言葉の店主より出ず
眠りゐる鼾聞こゆる夜を覚めて我がすぎこしは争はざりき
墓原に花溢れいる彼岸会の石碑はるけき名を刻みたり
ふと出でし卑屈なる語が地にひく己れの影をじっと見ており

拡大鏡かざして新聞読むことも当然としてにちにちの朝
我の名もやがて刻まれ忘られん蕭条として墓石立ちたり
何の墓も花のさされて刻まれし石碑の名前大方知らず
石階に屈まり曲る影となる即我は登りゆくなり
何を指し空の深さに入りゆける鳥は鋭き声を残して
きはまりて紅き楓もかたはらの枯れたる草も昏れてゆきたり
利を求めめぐれる旅に老しるく疲れて今宵酔ひ深まりぬ
野火赤く映ゆる農夫の手の指の土とたたかふ節立ちゐたり
燃しゐる火に照されて顔深く土とたたかふしわを刻めり

幼な子が手を引きに来し溝澄みて鮒幾匹が泳ぎていたり
朝顔を引かんとせしが明日開くつぼみ見えいて一日のばす
スコップを入れて争ふ千の根が土の中にて交叉なしゐぬ
土の中に争ふ千の根がありぬ穴を掘らんとスコップ入れしに
亡き母が植えし水仙夕闇に顕ちいて白き花を咲かせり
食はぬ方が体によしと思ひつつ置かれし饅頭一つを取りぬ
C型のブロック並べる溝となり淀まぬ水は魚の住はず
背の灼けてパンツのみなる運転手ドア開け大きな声を出したり
急坂に後進なせるトラックの音ひびかせて砂礫摘まるる
積みおへし合図に手を挙げトラックは石伐り砕く山を降りゆく
網をもち足しのばせしこの堀も 場整備に埋められてゆく
茜空映せる水を掻き乱しまいまい虫は舞ひつぎゐたり

2015年1月10日