実験小説としての「源氏物語」

テレビの話題が続き申し訳ないのですが、今年NHKで「光る君」という大河ドラマが始まりました。多くの方が見ておられると思いますが、世界で最も古く長い恋愛小説の1つ「源氏物語」を著した紫式部の物語です。

昨年末「やばい源氏物語」という面白い新書が出版されていました。著者は早稲田大学第一文学部(競争率が高いが文系に特化した変人が多いので有名)卒業の大塚ひかりさんで、他に「毒親の日本史」「ブス論」「くそじじいとくそばばあの日本史」などがあります。

 著者によると「源氏物語」は当時としては画期的なものでまさに実験小説であるとしています。例えば、通常は美人を詳細に描写して登場させるのですが「ブス(大塚さんが述べておられるので、私はそれを引用しているだけです)」の扱いがヒドイ。美女の描写は実にあっさりしてますが、「ブス」の描写は異様に詳しく、「ブスの極み」というべき、3大「ブス」に「末摘花(すえつむはな:座高が高く、先が垂れて赤くなっている鼻、額が腫れていて痛々しいほど痩せている)」「空蝉(うつせみ)」「花散里(はなちるさと)」を挙げております。これでもかと言うほど徹底した描写をしておりますので、原文でも現代訳でもその個所を一度読んでみてください。また「霊」についてよく登場させており、それまでの物語では死霊は出てくるが、生霊(いきりょう)を登場させたたのは「源氏物語」が最初であるということです。当時は病気や精神的不調などは人に「物の怪(もののけ)」が憑いているとして、祈祷により生きた人から霊を追い出したりして病気を治していたのです。今のように抗生物質も抗がん剤がない時代ですが、祈祷で治癒する病気というのはストレスなどの精神的な要因が主だったような気がします。物語の中で紫式部は、様々な霊を「生きている人間が良心の呵責によって見られる幻影」であるとし、六条御息所の生霊が光源氏の正妻「葵の上」に乗り移ったのは、光源氏が過去に行った御息所に対するやましいことに起因する幻影であるとしています。その他、愛の確執と嫉妬、不倫は勿論、近親相姦なども描かれ、また天皇家と貴族、右大臣と左大臣、などによる政治的謀略も混じり、当時実際に存在した人々も時に実名で出てくるなど、あらゆる斬新な試みが含まれ、まさに実験小説と言えます。紫式部がテレビや著書では菅原道真公の妾(しょう、つまり愛人)であったとされており、その真に迫る描きぶりは見事ですね。

前月号本誌で小澤征爾氏のことを書きました。先日NHKの教養番組で「終わりのない実験~世界のオザワが追い求めた音楽」というのが放映されており、その中で彼は日本だけでなく世界の音楽界に対して重い責任を持つに至っているが、外国にいても常にはるか日本の音楽界へ思いをはせ、日本人が西洋音楽にどこまで挑戦できるかという壮大な実験を続けていると述べています。さらにベートーベンは当時新しい手段としてピアノが導入されると、様々な新しいリズムや旋律を編み出し、交響曲に初めてトロンボーンや合唱を取り入れ、色んな実験を行っています。その前のモーツアルトもオペラなどに革新的な試みをしています。このように新しいことを実験的に試みた先人たちの業績は歴史を超えて今も息づいております。
エベレスト山に初登頂した登山家ジョージ・マロリーは「何故山に登るか?そこに山があるからです!」という名言を残していますが、実験や新しいことへの挑戦のきっかけは極めて単純なことで「高い山に登ると見える景色が変わり、そこから見える次の山に登りたくなる」のでしょう。
アインシュタインも山中伸弥先生も「実験」を繰り返し努力した結果「相対性理論」「iPS細胞」の発見に至ったわけで、実験をして新しいことにチャレンジすることは、人間の本質である、生きていく原動力になると思います。私は今大学で大学院生の動物実験の指導を行っていますが、誰でもその機会は与えられます。ロスアラモスで原爆実験を行ったオッペンハイマーでなくても、小学生の時理科や生物の実験に目を光らせた思い出、おうちで新しい食材を使って子供たちに新たなメニューをつくる。これも実験の一つです。喜んでくれると嬉しくワクワクしませんか?
生物の自然発生し得ないことを証明するパスツールの実験「新大学生物学の教科書」より(2024.4)

坂本龍一氏:音楽と生命

先月フルート奏者の多久潤一朗氏のお母さんは、没個性的な教育をしていたと書いたことに対して、お子さんを育てていらっしゃる某女性看護師さんから反撃されたので、今回はそれを否定するようなある人を紹介します。

それは、あの有名な音楽家「坂本龍一」氏のお母さんです。東京生まれの彼はお母さんの薦めで世田谷区の自由学園系の幼稚園に通っていたそうです。そこでは幼稚園の園児全員にピアノを弾かせていたようです。また教室の透明できれいな窓ガラスに水彩画を書かせたり、夏休みに週替わりで「ウサギ」の飼育を園児宅でさせたりしていたということです。今なら、父兄たちからウサギには犬のジステンバーのような感染症が無いか調べさせたり、何回目かの予防接種証明を持ってこさせたりしたことでしょう。さらに9月の新学期に先生から「ウサギの世話をしてどうでしたか。その時の気持ちを歌にしてください」と、無茶苦茶な課題を出されたということです。

その坂本龍一氏は2023年3月に亡くなりました。中国の人民服を着てテクノカットという髪型で、イエローマジックオーケストラにて、当時斬新と思われたシンセサイザーなど電子音を取り入れた現代音楽を作り出し、いわゆる「テクノポップ」として一世を風靡しました。しかし「戦場のクリスマス」などのポピュラー音楽を作曲した彼の音楽にはクラシック音楽が基本にありバッハとドビュッシーに大きな影響を受けていたことは驚きです。現代音楽のうち電子音楽はシュトックハウゼンにより広められ、ミニマルミュージックはステイーブ・ライヒ、フィリップ・グラスらによって開拓されました。シュトックハウゼンについては昔大阪万博の時に確かドイツ館で曲が流れていて、当時中学生だった私も奇妙なシンセサイザー音楽に何故か惹かれるものがありました。ライヒは「イッツゴナレイン」「カムアウト」「デイファレントトレインズ」など徐々にずれていく位相に斬新さがあり、グラスはメトロポリタン歌劇による「アクナーテン」「サテイアグラハ」などのオペラを世に出しています。両者とも現代人の感性にフィットしていると感動して聴いています。

坂本氏は平和運動など多彩な活動をしておられましたが、今回医学との関りについて、少し紹介します。2023年3月に生物学者の福岡伸一氏と「音楽と生命」という対談集を出され音楽学と生物学という異なる視点から共通するものについて討論されています。この課題は非常に難しいので改めて論ずるとして、今回はごくさわりを述べます。まずすべての事象を人間の考え方、言葉、論理という「ロゴス」と人間の存在を含めた自然そのものを「ピュシス」と区別します。そして、これらの「ロゴス」と「ピュシス」が対立しているとし、ピュシスをできるだけありのままに記述する新しいロゴス、より解像度の高い表現を求めることをあきらめないこと、そのためにこそ音楽や科学や美術や哲学がある。分化と思想の多様性がある、と論じています。(2023.12)

生命の起源

 あまり知られていないようですが、三朝温泉には「惑星物質研究所」があります。岡山大学の付属施設として温泉による医学への応用を目的として1939年「三朝温泉病院」が出来、幾つかの変遷を経て1985年岡山大学地球内部研究センターに改組されました。ここでは地球惑星科学の基盤分析実験技術の開発・応用に関する研究が行われ、現在では国内唯一の固体地球科学研究の拠点として内外のトップクラスの施設になります。先日ある研究会で、永年惑星物質研究所長をされてきた「中村栄三」岡山大学名誉教授による講演を拝聴いたしました。

 ご存じの方も多いと思いますが、2019年惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」に2回着陸して5.4グラムの石や砂を地球に持ち帰り「CASTEM」という分析器を用いて、中村教授のグループが解析されました。その中で水や必須アミノ酸(体内で生成されないため自然界から摂取する必要がある)を含む23種類のアミノ酸が含まれていたことが注目されていましたが、講演では実際の解析方法と結果、さらに生命の起源などについて熱く語っておられました。生物に必要な物質はC(炭素)H(水素)O(酸素)N(窒素)であり、因みに月にはこれらがないため人などの生物は住めないとのことです。

 1861年パスツールは精密な実験により「生物は決して自然発生しない」ことを主張し以後この説が定着していました。しかし、それなら最初の生命はどのように発生したのでしょうか。ここで生命の定義についてみると生命とは自ら化学反応を行って子孫を自己複製できる存在」で、自己と外界との間に明確な隔離があり、代謝(物質やエネルギーの出し入れ)を行うものでした。上記のパスツールによると全ての生命には親があるということですが、親の親などをさかのぼっていくと「最初の生命」にたどり着く訳でやはり最初は自然発生したと考えざるを得ません。その後いくつかの実験によりCHONなどの無機質に紫外線や雷など何らかのエネルギーが加わるとアミノ酸などの有機物が生じることが分かってきました。最初の生命はこれらの物質から生じたと推論されます。

 ちょっと生化学的な解説をしますと、まずアミノ酸が多く集まり水分子がとれてペプチド結合によって縮合したポリペプチドからタンパク質が生じます。タンパク質は身体を構成するコラーゲンや筋タンパクなどの構造タンパク質の他、ホルモン、へモグロビンなどの輸送タンパク、免疫にかかわる抗体、物質の代謝に関わる酵素など、極めて多くの重要な役割を担うもので、生命起源に大きく関与しています。

  

図 タンパク質の合成と分類、機能(生化学・分子生物学より)

ンパク質生成の設計図は核内の遺伝子DMAに存在しますが、その情報は一旦mRNA(メッセンジャーRNA)に写し取られ(転写)その後核外(細胞質内)に出てリボソームの働きによってタンパク質が生成されます(翻訳)。これらの遺伝情報を伝える様式は全ての生命の細胞に共通するもので「セントラルドグマ」といいます。遺伝子DNAは2本鎖ですがそのうち1本を鋳型としてmRNAが生成されますが、この反応は酵素であるRNAポリメラーゼの働きによるものです。RNAポリメラーゼもタンパク質であり、その生成について興味のある実験が報告されています。すなわち2021年理化学研究所らの国際共同研究グループがRNAポリメラーゼの活性中心にDPPB(Double-psi-beta-barrel)という約90個のアミノ酸からなるタンパク質があるのですが、わずか7個のアミノ酸から作られることを実験的に実証したのです(Journal of American Chemical Society)。即ち、遺伝情報伝達に関与する酵素(蛋白質)も条件が整えば自然に生成され、自己複製が可能となることが示され生命の起源に寄与することがうかがえます。

 小惑星リュウグウに多くのアミノ酸が存在することは地球外でも生命が存在する、或いは今後発生する可能性があるものと思われます。

セントラルドグマ:真核細胞の場合、核内で遺伝子DNAの2本鎖のうち1本がメッセンジャーRNAに転写されて、核外(細胞質内)に出てその後翻訳を受けてタンパク質が生成される。この転写に働くのがRNAポリメラーゼである(細胞の分子生物学より)。(2023.9.30)

絶対矛盾的自己同一

生体内では神経伝達物質など身体組織、細胞を構成する分子は常に「合成」と「分解」を繰り返しております。西田幾多郎氏の言われるように「ある矛盾をはらんだ姿が人生やこの世の実在である」。「多から一へ」「一から多へ」と部分と全体は常に逆方向に動きつつ常に同時存在的であり、またそれは空間的であるとともに時間的である、「絶対矛盾的自己同一」という西田哲学に通じる現象です。つまり、生命は合成と分解をほぼ同じ空間的、時間的に繰り返しており、このことが生命の本質であるということができます。鴨長明の方丈記冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」も生命現象の一面を物語っているように思えます。(2022.12)

集団行動

 先日夕方病院近くを歩いていると、鳥の群れが束になってうねるように移動しているのをみかけました。季節的に「渡り鳥」の移動かと思われましたが、「ヌー」という草食動物が食料となる草原を求めて大きな群れを作って集団で大移動をすることや、シマウマやイワシ、ペンギン、アリなどの小動物まで集団移動をすることはご存じのことでしょう。この現象を「マーマレーション」と呼ばれており、リーダーシップをとるものがいなくても周囲の生物の行動を仲間の目印やフェロモン、時には超音波などのシグナルを受け取ってまとまった集団行動を行うものとされています。集団で行動をすることにより捕食者から自分たちを防衛することが一番大きい目的のようです。

移動する鳥の群れ(無料イラストより)

 さらに驚くことに、生物だけでなく、細胞の分化や器官の発生、細胞間の相互作用など、遺伝子や細胞レベルでも、隣の遺伝子や細胞からシグナルを受け取ってこのような集団行動を行っているのです。例えば腸管の蠕動を司る神経節細胞などは胎生期に神経堤というところから食道へまず遊走しその後腸管の壁内を下方へ直腸を目指して一斉に細胞が集団行動を起こすわけです。一説によるとSNSで広がる誹謗中傷もこのような集団行動の1つとされており、同じ種の集団では利益となるひとつの方向に向くときには良いのですが、大回遊するニシンは一気に捕獲され我々の食料になるように、扇動されやすい人間の集団は間違った方向に行くと第二次世界大戦の日独伊三国のように大きな悲劇につながるのです。純粋で真面目な集団ほど同調圧力に左右されやすいので気を付けないといけないかも知れません。

(2023.5)

腸管神経前駆細胞が食道から胃を通り、小腸、大腸に移動する(Nature Neuroscience 2012より)

植物という生き方

「植物という生き方」について考えてみます。最初に地球上に出現した生物とされ、光エネルギーを使って酸素を作ってきたシアノバクテリアを、植物は葉緑体として細胞内に取り込み、光合成により水と二酸化炭素からぶどう糖などの有機物をつくる「独立栄養生物」です。これに対し動物は感覚と移動能力をもつようになったため他の植物や動物などを捕食しないといけない「従属栄養生物」になります。「植物人間」という否定的な使われ方をしていますが、光合成だけで養分が得られるという植物の「動かない生き方」にも憧れるところがあります。しかし光を多く得るために密林などでは背の高い木が生き残ったり、他の植物の成長を阻むような化学物質を生成したり水面下の戦いは有るようで、どの生物の社会でも競争は避けられないようです。植物とシアノバクテリアのように細胞内に入り込みお互いの生命活動に利用し合うというのが本来の「共生」であり、人間がコロナウイルスとうまく付き合っていくというのは「コロナとの共存」ということになります。

植物が持つある化学物質にて他の植物の成長を妨げ、自分が使うために「水」や「栄養」を確保する。(新しい高校生物の教科書より)

春の開花と温暖化

さて、春になりました。様々な花が咲くいい季節ですね。 今年の東京での桜の開花は3月14日で、これまでで最も早い記録となりました。

倉吉市白壁土蔵群近くの桜並木

温暖化によりその開花の時期が徐々に早くなっているようです。一般に春における開花の調節には2つの遺伝子が関わり、開花発現を抑えるFLC遺伝子と促進するフロリゲン(FT遺伝子)があります。FLC遺伝子は数週間~数か月にわたる冬の寒さにより抑制が徐々に減少し、フロリゲンが増えて春の開花に向かいますが、遺伝子の解析を用いて地球温暖化により開花の時期が徐々に早くなることが証明されています。

開花を調節するFLC遺伝子とFT遺伝子が温暖化により変化する(Nature Communication 2013より)。

ジャイアントパンダ

今年の2月に上野動物園で生まれたジャイアントパンダの「シャンシャン」、和歌山県の「エイメイ」など3頭が中国に返還されました。私は昔、和歌山県白浜近くの病院に勤務していたことがあり、子供たちを連れてよく観にいったもので、いなくなるのは残念です。日本国内のパンダは50年位前から日中友好関係のために来ているということですが、全て繁殖研究を目的に中国から貸与されている形となり、たとえ日本で生まれても所有権は中国にあるようです。これは絶滅危惧を懸念されてのことみたいです。

竹の幹や葉(笹)を主食とするパンダはいわば「菜食主義者」です。一般に植物細胞は動物細胞と異なり細胞壁や植物繊維を持ちこれらはセルロースが主成分で、セルロースはでんぷんと同じようにぶどう糖(グルコース)から構成され、草食動物は腸内細菌によってぶどう糖に分解してもらってエネルギーを得ます。大昔の我々人間の祖先は盲腸が発達しており、ここに棲む腸内細菌によって植物繊維を分解していたようですが、動物の狩りをして火を使った調理により肉食が多くなると盲腸が退化してしまい植物線維を分解できなくなりました。脂質の摂りすぎにより生活習慣病に悩まされている現代人には、例えばパンダの腸内細菌を腸内に移植すると我々も竹や綿、紙などを主食として利用し健康的な生活ができるかも知れませんネ。

竹の葉を食べるジャイアントパンダ(無料イラストより)

人間を含め生物は糖分、脂質、たんぱく質などを外部から取り入れ、ぶどう糖やアミノ酸などに細かく分解して腸から吸収し身体の生体分子を合成し、またその一部を分解してエネルギーを作り出しています。「菜食主義者」については「ベジタリアン」とか「草食系男子」などの言葉が広く使われています。上記の栄養素のうち、脂質やアミノ酸の一部は他の栄養素から生成可能ですが、アミノ酸には必須アミノ酸と言って体内で合成できないものがあります。人間では9種類でこれらは食物から摂取する必要があり、菜食主義者は野菜だけでは生きれず、パンダ達は実は夏の間にタケノコや竹の新芽を多く食べており、これには蛋白質が高率に含まれています。ベジタリアン達も肉や魚などの動物性食品を摂らないだけで、ナッツや豆腐からアミノ酸を摂っているわけです。但し「草食系男子」はちょっと意味が違う様でWikipediaによると「恋愛に『縁が無い』わけではないのに『積極的』ではない、『肉欲』に淡々として心優しく、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子のこと」などと定義され、かなりかけ離れた使い方になっています。

記憶

「記憶」をどのように人間は獲得するのでしょうか。未だに明確には解明されていなのですが、コンピュータでは二進法「0」「1」に暗号化された情報がそれぞれ指定された場所に磁気や化合物の変化として永久に保存・記憶されます。ところが人間などの生体内ではこのようなメカニズムは無く「記憶物質」も発見されていません。アセチルコリンやノルアドレナリンなどの神経伝達物質がシナプスを介して情報を伝達することは分かっていますが、そこから記憶がどのように保存されるのか。おそらくシナプスが変化して情報の伝わり方を調節しているようですが、人間が誕生してから意識が自分の中にどのように発達してくるのかなども詳しくは分かりません。胎生期から脳は最も著しく発達し、生まれてからはいつの間にか自意識が芽生え、色んな行動や学習をするようになっているのですが・・・・・。(2022.12)

細胞の死

 今回細胞の死について考えたいと思います。細胞の死にはネクローシス(壊死)とアポトーシス(プログラム死)の2つがあります。まずネクローシスとは外的な要因によって細胞が受動的に崩壊するもので、虚血や低栄養、感染症、外傷、毒素など高度の障害により急激で制御不能な細胞死を指します。広範な部位に生じ最終的には周辺組織に炎症をひき起こします。これに対して、アポトーシスは遺伝子レベルで内在性にプログラムされた自滅命令にもとづくもので、散発的に生じ通常は短時間で終了。細胞内物質を分解する酵素が活性化します。語源は「木の葉が枯れ落ちる」から来ており炎症反応はなく制御された細胞死と言えます。おたまじゃくしの尾が取れて手足が生える、種々の器官の発生(図)、性周期によって子宮内膜が剥がれ落ちるなどもこれに当たります。個体が多数の細胞からなる1つの社会であるという見方をすれば、①細胞分裂とアポトーシスの協調によってバランスのとれた細胞数が維持される、②不要となった細胞を選択的に除去する、③細胞社会にとって好ましくない異常を来たした細胞を抹殺する役割を持っています。アポトーシス細胞などがマクロファージ(貪食細胞)に「私を見つけてください」「私を食べてください」信号(シグナル)を発して「自ら死亡して静かに埋葬される」ことを選択し、個体という細胞社会の秩序の維持に適応するのです。象は死期を感じると自ら死に場所を求めていくと言われますが、細胞死にもこのような機構がもともと備わっているのです。何と「健気(けなげ)な」細胞ではありませんか!(2022.9)

ニワトリ胚発生中の肢芽先端部。胎生初期には手足の先端部は「うちわ」のような形態をしているが(左)、後に指と指の間の部分がアポトーシスによって死滅することにより指が形成される(右)。

何故1つの細胞から色んな組織ができていくのか

 最初1つであった受精卵は細胞分裂を起こし(上図)、体細胞がそれぞれ決められた運命をたどって(プログラミング)色んな細胞、組織、器官に分化、発達していきます。つまり内胚葉からは肺や消化管、中胚葉からは心臓や筋肉、腎臓や赤血球、外胚葉からは皮膚、脳神経などが発生するのですが(中図)、この時最初からあるゲノムDNAの遺伝子は変更せず、後から起きる変化によって遺伝子が発現してそれぞれの細胞、組織に分化するわけです。これをエピジェネティクスといいます。ちょっと難しいですが、要するに最初受精卵が有するゲノムDNAは終生変わらないのに対し、少しだけ修飾されて(DNAのメチル化、ヒストンのアセチル化など)性質がかわっていくというものです(下図)。これによって様々な現象が理解できるようになった新しい分野です。(2022.8)

受精卵から卵割。(新発生学より)
体細胞分裂により三胚葉に分化していく
染色体を構成するゲノムDNAとエピジェネティク変化(仲野徹「エピジェネティクス」より)

音楽の訓練

 何故音楽家は年少から楽器を始める方が良いのか、について疑問が湧きました。一般に脳には神経細胞(ニューロン)があり情報の伝達と処理に特化した細胞と考えられ、それらが手を伸ばして連結してシナプスという回路を形成します。胎児期には脳の発達が大きく、複雑な回路網が出来上がっていきます。その後胎外に生まれると環境によって様々な刺激に遭遇するとその時に使われる回路は強く太くなりますが、使われない回路は消滅していき人間は出生後様々な世界に順応していくわけです。すなわち、英語圏で育った子供は英語を覚えて理解ししゃべり出しますが、日本語は全くわからないといった状況になり、ある人は小さい時からの訓練で超絶的なバイオリンを難なく弾けるようになる。ある人は空中に張られた細いロープの上を逆立ちで歩いたりするようになります。図に出生後の年令ごとの脳波の発達状況と脳重量の推移を示します。勿論指の関節が曲がりやすいといった身体的な柔軟性は考えられますが、いずれにしても胎児期からの延長として生後急激に脳が発達し、この増加は乳幼児期に極めて著しくこの時期の訓練が重要だということが分かります。中学生くらいからその速度はほぼプラトー(平坦)に達し成人になっても発達する余地は十分あるのですが、どうも梁さんや磯邉さんと私の違いは練習を真面目にしたか、サボり気味にいい加減にやっていたかにあるようです。(2022.7)

在胎12週時の胎児:殆どの器官が形成される時期であるが、脳の発達が急激である(ムーア発生学)

脳波の発達と脳重量の変化

Lindsleyによる脳波の周波数(点線…)と脳重量(実線―)、正常下限の脳波(点鎖線―-―)を示す。脳の発達は乳幼児期までが著しい。(馬場一雄:小児生理学)

地球温暖化

 2021年10月初旬。寒いはずの山陰でも30度を超える日が続いております。地球温暖化が影響するのかとぼんやりと考えていたら、ノーベル物理学賞を取られた真鍋淑郎教授のニュースが飛び込んできて、何とその仕事は「温暖化対策につながる気候変動のシミュレーションとなる予測モデルを物理学的な手法を用いて行った」というものらしいです。詳しい内容は理解できませんが、当初世界初の汎用コンピュータを用いて気象を予測したというもので、画期的であったことは専門外の私でも容易に想像できます(図)。

2021年ノーベル物理学賞を受賞された真鍋淑郎先生(Wikipediaより)

 地球温暖化とは太陽からの熱エネルギーを地表から逃がさない二酸化炭素などの温室効果ガスが、石油や石炭などの燃料の大量燃焼により増え続け、地表での熱が放出されないで気温が上昇することです。その影響は①海面の上昇、②気象災害の頻発、③健康被害、④生態系の破壊などが挙げられます(図2)。このうち③健康被害について、最も分かりやすい例では「熱中症」があります。脱水症状や付随する腎機能低下、心肺疾患、皮膚がん、アレルギ―、熱帯感染症、精神衛生上の異常、妊娠合併症も増えるとされています。

全国地球温暖化防止活動推進センターHPより

 真鍋先生は愛媛県の医師の家庭に生まれ一旦今の大阪市立大学医学部に入学されたようですが、ご自身の言葉を借りれば「理科の実験で失敗し、緊急時に頭に血が上る性格だから医師には向かない」と判断されたということです。私の周りには「緊急時に頭に血が上る」医師は数え切れない程おりますが(特に外科医に抜きんでて多い)それぞれに立派に活躍されていますので、真鍋先生のこの判断が正しかったかどうか私の口からは何とも言えません。が、純粋な学問である「地球物理学」や「気象学」の方により興味があったのでしょうね。当時の理系精鋭が集まる東京大学理学部大学院で理学博士号を取得されたのですが、日本では進路に恵まれることは少なくアメリカ国立気象局からプリンストン高等研究所(アルバート・アインシュタインやロバート・オッペンハイマーが在籍していた)に招聘されました。この時に呼ばれたのはジョセフ・スマゴリンスキー教授で、アメリカでIBM社製の最新コンピュータを自由に使い潤沢な資金で研究に没頭されました。その後一旦日本に帰国され「地球温暖化予測研究」の主任研究員に就任されましたが、他の研究機関との共同研究が科学技術庁の官僚から難色を示され、日本の縦割り行政が学術研究を阻害していることを不満に思い再度渡米しプリンストン大学に戻られています。当時「頭脳流出」として報じられたようです。この時の年令は何と70才。ノーベル賞を受賞された今年は90才。かつて伊能忠敬は55才で現職を定年退職した後、全国行脚をして亡くなるまでの17年間に「日本地図作製」という偉業を達成されました(図3)。偉人と呼ばれる人はこのあたりの活躍がすごいですね!!

伊能忠敬氏の伝記(講談社文庫表紙)

 真鍋先生は日本に帰らずにアメリカ国籍を取得した理由として、日本人は調和を重んじ周りが何を考えるかを気にして他人に迷惑をかけずにうまく付き合うことが最も重要で「アメリカ人は他人がどう受け止めようが気にせず自分の思う通りのことをやる。私は調和に生きる人間ではない。」とジョークにもとれる口調でマスコミからのインタビューに答えておられました。日本人の1番の弱点は「世間体」であるとよく指摘されます。つまり周囲の目を意識させる言葉や態度をとられるとその目を遠ざけることに意識が向けられます。「我々の県内では絶対にクラスターを発生させないように」など「不必要なまでに規制をかけようとする」のは1つの例です。ただ、アメリカでの自己主張に裏打ちされる競争世界はかなり熾烈であり、「周りが考えてくれる」日本が最も居心地良いと思っている私なんかはやはり「小物」なんでしょうね。それとアメリカでは後進に対する「教育」「指導」意識がしっかりしており、自分らも苦労してきた分後輩には惜しげもなく手を差し伸べる姿は我々日本人も見習うべき点であります。事実真鍋先生のアメリカでの指導者であったスマゴリンスキー教授もソ連のボグロム(大虐殺)を逃れてアメリカにやってきた科学者であったようです。(2021.11)

低出生体重児

2 021年9月10日に厚生労働省より発表された2020年の人口動態統計(確定数)によれば、日本の出生数は過去最低の84万835人(前年より2.8%減)でありました。また、新型コロナ感染の流行によって妊娠を先送りするカップルや経済的困窮におかれた若い世代の増加、外出を規制する政府や自治体の政策により結婚を希望する人たちの出会いの場が少なくなっているため、2021年以降の出生数はさらに減少することが予想されます。一方、日本小児外科学会の集計によれば、人口の微増に対し出生数は減少していますが、新生児期に手術を受ける患児の数は確実に増加しているという事実が示されております(図)。この理由として、職業を持つ女性が多くなったことなどで結婚や妊娠年齢が高くなり、高齢妊娠やハイリスク出産が増えているため、早産の傾向となり低出生体重児が多くなっていることが指摘されています。過度のダイエットによる「痩せ」やストレス、喫煙もリスク因子になります。

 人口(橙色■)、出生数(緑●)、新生児外科症例数(青■)の推移 (日本小児外科学会全国集計)

 低出生体重児に多い小児外科疾患として消化管穿孔があげられ、これが予後を最も不良にしております。口から食べ小腸の管腔内に入った栄養素(例、グルコース)にはそれぞれ特異的な輸送蛋白(例、Na依存性グルコース輸送体)が上皮細胞膜に存在し能動的に細胞内に取り込み、その後血液中に運ばれます。これに対し小腸内にいる細菌や異物は、腸管上皮のバリアによって血中に入るのを妨げられる機構があり、その1つとして上皮細胞間の間隙にあるタイトジャンクション(密着結合)があげられます(図)。隣り合う1つ1つの細胞自体を密着させるのがタイトジャンクションにおける接着因子と呼ばれる「クローデイン」になります。つまり小腸内には栄養素と細菌叢や異物など、良いものと悪いものが「玉石混交」状態で混在し、生体はその分子をうまく見分け、栄養素を取り入れ不要な物質をシャットダウンする機構が出来ているわけです。ところが、最近の研究によると、低出生体重児では、低酸素症や低血糖、酸化ストレス等の「小胞体ストレス」のためにこのクローデインが正常に機能せず、タイトジャンクションに穴が開いたり安定化するのが妨げられ、結果的にバリア機能が破綻して小腸粘膜の透過性が高まって細菌叢が血中に入り全身感染に至るとされています(FASEB journal, 2021)。

小腸上皮細胞ではグルコースなどの栄養素は細胞膜にある特異的な輸送蛋白を介して吸収されるが、腸内細菌叢や異物はタイトジャンクション(密着結合)などにより血中に侵入するのが防御されている。「細胞の分子生物学」より

 出生動向における上記の日本の状況に関する某新聞の記事によると、イスラエルにおける出生数は多く、1人の女性が生涯に産む子供の数である、合計特殊出生率は過去40年3.0とほぼ一定で世界的に最も高く、2位のメキシコ(2.1)以下を大きく離しています(日本は1.36)。この理由として、ユダヤ民族は長い間離散していた歴史があること、ナチスやソ連での大量虐殺の経験などで、自分と類似のDNAを持つ家族を残そうとする「長年培われた民族の知恵」であるとの指摘があります。またユダヤ系親族の結束の強さで、子供の世話を両親のみに集中するのではなくお互いに助け合うという、昔の日本のように「地域の年寄りが子供たちを集めて遊んだり教育をする」コミュニテイーが基本にあるようです。また新型コロナワクチンを開発したファイザー製薬のアルバート・ブーラCEOは、ナチスによるホロコーストを生き延びた両親を持つということですが、両親からはナチスに対する怒りや復讐心を持つのではなく、どうやって生き延びることを考えたか、その幸運と人生の喜びを常に教えられていたと言っています。失った機能を嘆くのではなく、残った器官や臓器を最大限活用して他の人にできないことにチャレンジするパラリンピックの選手の姿勢に通じるものがあると思われます。(2021.10)

東京オリンピック・パラリンピック

 2021年夏、東京オリンピック・パラリンピックを観ていて、医療者の立場から幾つか感動する場面がありました。まず急性リンパ性白血病を克服してオリンピックに出場した水泳の池江璃花子選手。骨肉腫にて足を切断し義足にてトライアスロンに出場した谷真海選手。小児期におこる癌は成人に比べ極めて稀ですが、白血病や骨肉腫を扱った山口百恵、三浦友和主演のテレビドラマ「赤い疑惑」や阪大病院がモデルとなった吉永小百合主演の映画「愛と死をみつめて」が放映された半世紀前では、致死率が高い悲惨な病気という印象が強かったことと思います。しかしその後、化学療法や骨髄移植、幹細胞移植などの医療が進歩し、今では小児がんの70%は完治する時代になっておりますが、治療中の身体への負担と抗がん剤の副作用との戦いは熾烈なもので、これを克服して大会に臨んだ選手たちの努力には敬服したします。また、先天性四肢欠損症による運動機能障害の部でいくつものメダルを取った水泳の鈴木孝幸選手、戦争の爆撃で四肢を失ったイラクの選手など。視覚障害のサッカー選手は音の出るボールを頼りにプレーをします。音楽の世界では先天性小眼球症で聴覚だけで楽譜を暗記していたピアニストの辻井伸行さんは若干20歳の時にアメリカ、クライバーン音楽祭で優勝されました。我々小児外科医は新生児~小児期に器官や臓器の形成不全のために手術を行いますが、その後の患児の成長や発達能力の凄まじさに目を見張るものがあり、逆に彼らから「元気」をもらい小児外科医のモチベーションになります。さらにパラリンピックで活躍する選手を見ていて、失った機能を他の器官・臓器で代償する人間の能力は計り知れないものがあることが実感できます。いまだに水泳のクロールが全くできない私は、彼らの爪の垢でも煎じて飲みたいです。(2021.9)

京大 おどろきのウイルス学講義

 新型コロナウイルスはなかなかその勢いを止めてくれず、ウイルスは昨今一番の悪者にされていますが、病気を起こすウイルスはごく一部で殆どは非病原性ウイルスで中には哺乳類の進化を促進した有用ウイルスも多く存在し、我々にとって必要なものであるという趣旨の本が最近出版されたので紹介したいと思います。2021年4月に獣医師で京都大学ウイルス・再生医学研究所の宮沢孝幸准教授によるPHP新書「京大 おどろきのウイルス学講義」です(図)。地球上に酸素が過剰であった時代に酸素を消費してエネルギー源であるATPを産生していた細菌を、多くの生物の祖先である原始真核細胞が後にミトコンドリアとして内部に取り込みますが、同じように哺乳類がウイルスの1種であるレトロウイルスの機能を拝借したというのです。

 生物の細胞の増殖は、核の中にあるDNA上の情報がメッセンジャーRNAに写し取られ(転写)、切り取られた(スプライシング)ものから生存に必要な蛋白質が合成(翻訳)されます。これをセントラルドグマ(中心教義)と言い、全ての細胞に共通する掟(おきて)になります。ウイルスにはDNAかRNAしか持たない原始的な寄生体で、このうちレトロウイルスはRNAを持っているのですが、細胞内に入るときにセントラルドグマの掟を破って自分のRNAを核内に持ち込みDNAに変換(逆転写)して、細胞のゲノムDNAに割り込んで自分のDNAを付け加え設計図自体を書き換えてしまうという厄介なウイルスで、エイズをひき起こすHIVや成人T細胞白血病のHTLVが含まれます。その後自分が書き換えた部分だけをコピーして工場である細胞質内のリボソームに運んで蛋白質を作り増殖していくのです(図)。ウイルスは自分自身では増殖できず宿主の細胞内に入って常に感染し続けないと生き残れないのですが、生体にはウイルスに対する免疫を作ってしまうので変異を繰り返さないと生き残れないのです。単に複製ミスによる変異だけでなく、別のウイルスとの組み換え、文節の交換、まったく別系統のウイルスの遺伝子や宿主の遺伝子を拝借して生き残り、筆者はウイルスへの思い入れがあるのか、原文を引用すると「ウイルスも生き残りに必死なんです」ということです。

京大 おどろきのウイルス学講義 より

 本書の最初の方の章で新型ウイルスは様々な動物の細胞に数多く寄生・棲息しており、無防備なところからいきなりやってくるという警告が述べられているのですが、後半からはウイルスが人間などの哺乳類に貢献した明るい話題にうつり、宮沢先生の研究業績が紹介されます。哺乳類の胎盤形成にレトロウイルスが関与していたというものです。2000年にイギリスの科学雑誌Naure に、「シンシチン1」というレトロウイルス由来の細胞融合蛋白質が人間の胎盤形成に関与していることが発表されています。さらに胎児の細胞には父親の遺伝子が含まれるため、母親の細胞が異物として攻撃するのですが、もう一つの蛋白質「シンシチン2」が免疫抑制性の配列を含んでいることが分かり、免疫抑制作用を有しているというのです。これらは過去に宿主の生殖細胞に感染して固定化するとその配偶子から発生した全ての体細胞に入り込むという、内在性レトロウイルスに含まれます。宮沢先生らは牛の胎盤形成に使われる因子を発見し、Fematrin-1と名付けられました(図)。これは2500万年くらい前に牛に感染したレトロウイルス由来のBERV-1がDNA遺伝子を書き換えたものです。彼らの説によると、通常細胞が分裂する時には1個の核が分裂して2個の細胞に分かれますが、牛の場合胎児の栄養膜細胞が着床する時には、核が2個になったのに細胞は分裂しないで2核細胞(BMC)になるものがあり、母親の細胞(子宮内膜細胞)と融合して3核細胞(TMC)になるのです。これにより母親の子宮壁側に移動することが出来妊娠関連ホルモンを母親の血中に効率よく届け「私はあなたの子供ですよ。守ってね。」というシグナルを出すというものです。

宮沢ら、Nature. com, 2013より

 その他、皮膚やその他進化に関与する内在性レトロウイルス以外にも、ヘルペスウイルスのある種のものは特定の感染や病気にかかりにくいといったこと、癌に抵抗するウイルスや癌抑制性マイクロRNAを発するウイルスなど、遺伝子操作を駆使して治療につなげようとされております。

 病原性ウイルス、有用性ウイルス、いずれにも負けたくないものです。(2021.9)

細胞老化とテロメア

 8月は「お盆」の時期で各家庭では「ご先祖様」をお迎えされていることと思います。「精霊の世界」についてはよく分かりませんが、56才で亡くなったアップル社のステイーブ・ジョブズ氏は「死は生命最大の発明である」と言い「古いものを消し去り新しい道をつくる」意義があると言っております。人間の細胞は37兆個ありますが、常に細胞分裂を繰り返して新陳代謝を図っています。この細胞の染色体の末端にはテロメアという「鉛筆のキャップ」のようなものがあり、これがDNAを保護しております(図)。そして細胞分裂の度にテロメアは短くなり、これにより細胞は老化していき臓器の機能が低下していき寿命が決定されるわけです。テロメアの短縮を修正すると癌化することが実証されており、テロメア自体は細胞分裂を制限して癌化を予防する働きがあるのです。このような細胞分裂によるテロメアの短縮は「体細胞系」で行われますが、「生殖細胞系」である卵子、精子ではテロメアが短くならないので、際限なく細胞分裂できます。このことは40億年前に生命が誕生してから、「生殖細胞」が生き残りあらゆる生物と最終的に人間の出現につながったことが説明出来ます。生物の種の存続に関してみれば「生殖細胞」に比較して「個々の死」はそれほど重要ではないわけです。また生殖に関して雄と雌を有する有性生殖が生命体としては効率的であり、父と母のDNAがそれぞれ受け継がれ、遺伝子の変異などを取り入れて新しい多様性ができるというメリットがあります。優れた子孫を残して次世代に後継していくという、メカニズムが出来上がっているのです

テロメア(茶色)はDNAの先端にあり、細胞分裂の度に短くなって細胞の老化と寿命を規定する。この機構が働かないと癌化につながる。(ロビンス、基礎病理学より)

優秀な子ども達を育てる象の群れ

 ご存じのように鮭など一般生物は受精が終わると直ちに死んでしまいますが、人間の子供は出生後成育するまでに手のかかることが多く、「子育て」の期間が長く保たれています。これは現代人と同じグループに属するクロマニョン人が出現した20万年くらい前から徐々に進化した結果と思われますが、優秀な次世代を育成する社会的システムが人間社会の中で生活するうちに培われたもので、後進を育てることが人間しかできない価値のある能力と言えます。今後どのようになっていくか、もし1万年くらい生きられたらその時の人に確かめてみたいものです。(2021.8)

植物の開花

 4月中頃の春真っただ中で、満開の桜からチューリップ、パンジー、つつじへと変わっていきます(図)。植物の開花については、長い冬の間の低温によって、植物の持つ遺伝子(クロマチン)が誘導され、温かくなった春に環境の変化に伴って開花シグナルにスイッチが入り、花が開くという機構が働くとされています。これは動物の発生や進化にも共通したメカニズムで(生体内のエネルギー代謝は植物と動物では真逆ですが)、長期間にわたって働く分子タイマーの存在が明らかになっており、また機会があれば詳しく取り上げたいと思います。(2021.6)

開花する花たち

脂質代謝

 春はまた、新入社員が入ってくる季節で恒例の健康診断が行われます。健康診断のために1週間くらいお酒を我慢し、甘いものや脂っこいものを控える人がいますが、本来は通常の生活をしているときの状況を把握するのが目的です。図に最近の検査項目別有所見率を示します。何らかの異常所見が見つかった人は半数以上にのぼり、最近微増する傾向にあります。このうち最も多いのは血中脂質異常で約1/3弱の人に見られ、肝機能、血圧、血糖、心電図の異常と続きます。

定期健康診断検査項目別有所見率(森晃爾:産業保健ハンドブックより)

 脂質はエネルギーを貯蔵(中性脂肪)し、細胞膜や脳の構成成分(リン脂質、糖脂質、コレステロール)として、またステロイドホルモンやプロスタグランデインのような生理活性物質など、生体にとって必要な重要な物質です。脂肪(中性脂肪)は、皮下脂肪、内臓脂肪など、健康の大敵のように罵られていますが、これがないと動物は長期の絶食や飢餓に耐えることが出来ません。つまり中性脂肪を蓄えることによって、飢餓に耐える能力を飛躍的に増進したことが、人間を進化させたとも言えます。中世脂肪の化学構造式を見てみますと、グリセロール(グリセリン:3価アルコール)に脂肪酸3分子がそれぞれエステル結合したもので、トリアシルグリセロール(トリグリセリド)とも言います。脂肪酸には飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸(炭素同志が二重結合を形成している)があり、二重結合の部分では折れ曲がる性質を持っています。二重結合が複数あるものを多価不飽和脂肪酸と言い、魚の油に含まれ身体に良いといわれるDHA(ドコサヘキサエン酸)やEPA(エイコサペンタエン酸)はこれに含まれます。このうちリノール酸とαリノレン酸は体内では合成されないため、必須脂肪酸と言われます。

中性脂肪(トリアシルグリセロール)の化学構造式(田中文彦:忙しい人のための代謝学)

飽和脂肪酸(左ステアリン酸)と不飽和脂肪酸(田川邦夫:からだの生化学)

 ここで、私の専門に関係ある発生・進化について面白い話を紹介します。かつて大阪大学医学部で生化学の教授をされていた田川邦夫先生には、学生時代再々再追試までお付き合いいただいた(つまり2回試験に不合格になった)のですが、著書「からだの生化学」から興味深いお話を引用します。

 「肉食がサルからヒトを進化させたという説に、生化学的根拠を加えて修正した挿話である」と前置きされたうえで、「動物は必須脂肪酸を合成できないので、直接または間接的にそれを植物から摂取しなければなりません。植物の油脂は種子中に多量に貯蔵されているので、これを摂取すれば必須脂肪酸の欠乏をきたすことはないのですが、サルは草食性なので、全ての必須脂肪酸を植物に依存しています。しかし、サルにとって非常に不都合なことに、多くの種子中にはヒマのリシンや大豆のトリプシンインヒビターのような蛋白性の毒物が含まれております。このためこれを大量に食べることが出来ないので、常に必須脂肪酸が欠乏しがちであります。」

 ここから、サルからヒトへ進化する説が展開されていきます。「しかし、ある時サルの中に肉食をするものが出現しました。このサルは生体膜に富んだ動物の内臓を食べることにより必須脂肪酸を十分摂取することが出来、これが大量のリン脂質を必要とする大脳を発達させる栄養的根拠となった。」というわけです。「大脳の発達した『サル』は火を使うことを知り、種子を熱することにより毒性タンパク質を変性させて無毒化するようになったため、あらゆる種類の種子を食物に出来る」ようになりました。

 サルから突然変異した我々人間は脂肪を取ることにより、大脳が発達してきたようですが、今は逆に生活習慣病で人間が苦しんでおり、この現象は因果応報というか、自然の人間に対するリベンジなのでしょうか。(2021.6)

生物と非生物: AIについて

 最近の話題として、歌手の「加山雄三」さんの声の発音や抑揚、パターンなどを録音して、AI(人工知能)に学習、記憶させ再現したという報道を聞きました。伝えたい内容を入力すると「加山雄三」さんの声でアナウンスしてくれるという企画で、生まれ故郷でずっと生活の拠点とされている神奈川県茅ケ崎市にて、市役所や市立病院、スーパーや温泉施設でこの4月から館内放送されているようです。また、以前NHKスペシャルで同様に、美空ひばりさんをNHKやレコード会社に残る沢山の音源、映像をもとに、AI技術によって目や特徴的な口元などを歌唱とともに巧みに再現し、視聴者の心を惹きつけていたようです。少し前、人間不在でコンピュータ音楽のみのボーカロイド・オペラを発表した作曲家渋谷慶一郎氏は、テレビ番組「らららクラシック」において、「狂気のピアニスト」と言われるグレン・グールドの残された音源からAIが学習し、どのような楽曲でもグールド風にピアノ演奏する、またAIが学習したバッハの様式で実際に作曲する、ヴァイオリニスト成田達輝がAIと共演するなどが紹介されていました。グールド特有の「音を短く切る」「繊細で深みのあるタッチ」「ドライな演奏」など、細かく分析すれば学習・記憶できると思われますが、印象に残ったことは渋谷氏が「凄い演奏家は内部に狂気を持っており、演奏会でハラハラさせられる。例えば気分によって怒って演奏を中断したり、ふざけるなと鍵盤を叩きつける。このような一番人間の極端な部分をAIに忍び込ませると面白いでしょうね」と仰っていました。グールドや他の音楽家、例えばカルロス・クライバー、ウイルへルム・フルトヴェングラー、ウラジミール・ホロヴィッツなどの持つ、演奏に込められた情熱(狂気などと紙一重のもの)という、即興的に出てくる感情を含めた人間らしいものが生み出すようになるかどうか興味のあるところです。

生物と非生物の違いについて考えてみたいと思います。Wikipediaによると「生物」とは、動物・菌類・植物・藻類などの原生生物・古細菌・細菌などを総称した呼び方であるとされています。さらに多くの生物者が認める定義として、①自己と外界との間に明確な隔離がある、②代謝(物質やエネルギーの出し入れ)を行う、③自己増殖能がある、を満たすものとされています。また見方を変えると「常に乱雑さを増す宇宙の中で、秩序を生み出し維持できる能力」ということになります。一般に万物は乱雑(無秩序)な状態に自然になっていきます。これを物理学の基本原理、熱力学第二法則といい、宇宙、或いは閉鎖系(外界から完全に孤立した物質の集合)では乱雑さは常に増す方向に向かうということになります。図に示すように放っておくと部屋は乱雑になっていきますが、この方が自発過程でありこれを逆転し整頓した状態にするためには意識的な努力とエネルギーの投入が必要で、自発的には進みません。この乱雑さを数値化したのがエントロピーという量で、万物が乱雑に向かうという熱力学第二法則は、万物はエントロピーが増大する方向に向かうと言い換えられます。「生物」の定義をもう一度考えると、秩序を生み出すために生物の細胞は小有機物質(アミノ酸、糖、脂質など)を用いて化学反応を行い続け、周囲からエネルギーを獲得してそれにより秩序を作り出し、細胞は生活し成長するわけです。

左:整頓されている子供の部屋。右:放っておくと乱雑な状態になる。左の状態に戻すのにはエネルギーが必要。(「細胞の分子生物学」より引用)

生物界のエネルギー代謝(「生化学・分子生物学」より引用)

 こうしてみればAIはとうてい生物とは言い難いですが、人間に極めて近く仕事をしてくれるので、今後我々にとって同僚や家族のような存在になっていくものと思われます。人間とは違ってAIは疲れず「肩を揉んでくれ」とか言わないし、仕事に飽きても「賃金アップ」を要求したり新しいファッションをねだったりしないことが、AIを「生物」から分類する定義かも知れません。皆さんはどう思われますか。(2021.5)