無題 (5)

飛ぶ雲の岐れて空を走りゆき枯葉捲かれて土に狂ひぬ
神装束なして鉄打つ鍛冶なりき破れて黒き に残さる102
打つ鎚と受ける鎚とに向ひゐて鉄を鍛ふる二人は黙す
胸撮りし断層写真は如何ならんうつし絵もつか我は寝ねつつ
黄葉を生み赤き葉生みて秋来る画匠の彩管揮はさんため
夕鳥は言葉さらひて飛びゆけり瞼を合はす闇迎ふ故
白き紙振りて豊饒祈りゐる宮司未明の水を浴びたり

呻きゐし声も眠れるいびきとなり朝の空は明け初めてゆく
呻き声出して一夜を過したる疲れに朝を眠りゐるらし
思ひ出に辿るいのちは限りなし収めてしずかな老ひの日ならん
朝もやに茜の渡り病みて臥す瞳を開く光り差しくる
戦中と戦後を生きて来りしと点滴受くるやせし手は見つ
原なりしところに密々家の建ち光る車の出でて来りぬ
手術するせぬは家族に任せゐてわれは点滴の歌考へる
杉の秀の伸びゆく晴れし青き空我を呼ぶ声そこより来る
見舞客帰りて声のなくなりし室にしばらく何すとあらず

あめんぼがかすかな波を起しゐて昼が落せる葉蔭のふかし
片かなの工場の文字より朝明けて車の出入りは人の営む
工場の片仮名の文字明らかに見え来てはたらくひと日初まる
白く映ゆ壁となりきて光り差し閉せる窓は人まだ眠る
払はるる霧の中より一つづつ象現はれ来るたのしさ
一つづつ異なる象に現はれて山に生ふ木に霧はれてゆく
炎をなすと見上る楓の紅の情緒過剰に虫の這ひをり
ドア閉ぢて寒気断ちたる室となり病みて生きゆく空間ありぬ
ゆれ止まむ体重計の針見をり知らざるおのが体をもてば

喉の下に肉衰へしくぼみ出来ながき安静の時の過ぎたり
安静の体に臥して懸命に己れいやせる循る血のあり
転々と寝返り打つ日日寝台の小さくなりしに体順う
曇り来し窓に安静の目はゆきて重なり来るこめる雲あり
一日に癒ゆるならずと胸に置く手を本棚に伸ばしゆきたり
挟みたる豆が箸よりすべり落ち生きる力の指に失せゆく
澄む水と泥とに分れ溢れたる昨日の雨は一夜過ぎたり
幼らはひそみて闇を見つめをり闇を見る目の光り増しつつ
今撮りしネガを眺むる医師の目の動かぬものを我は見てをり

生まれしは全て死するとおもうとき舗道に人は溢れて歩む
病める身は医師に委せて起き伏しの湧ける思はいは文字に托しぬ
安静の医師の言葉に臥してをり縛らる服を壁に向けゐて
するするとカーテン上りて人の居ず自動といふを我は見てをり
わが体を他人に尋ね知るを得るこの不可思議に病みゐるなり
順調の言葉がありて開きたる安静の目を亦閉じてゆく
広き空の広きを眺め安静の今日いち日も暮れてゆきたり
夏の用終へたる布の千切れゐて案山子は畦にほうられてをり
大きなる緋色の鋏ふりかざしざり蟹激つ水さかのぼる

いそしみて紅き葉をなす庭の見え罪のごとくに臥してこもりぬ
老ひし木も紅葉なしゆく一斉を見つつこやりて今日も過ぎゆく
渇きたる口をうるほす湯のあるを何に向ひて感謝すべきか
十二時となれば食事の運ばるる恵みを我は受取りてをり
窓開けてひと日増したる紅を見てをり楓に臥せる目やしなふ
錠剤が一つふゆると卓に置きナースは安静告げて去りゆく
点りゆく灯りは高く階昇るビルの象となりて昏れゆく
各々のビルの形に整ひて闇に灯りの増して来りぬ
ひょうひょうと鳴りゐる風の耳を研ぎ一夜研がれし耳に寝ねをり

しわくちゃの手と思ひしがいつの間にかやせたるままに艶をもち来ぬ
夜の駅を降りたる人等いち日の疲れもてるはひたすら歩む
赤きもの見れば血として歌に書く戦し日をながく離るも
仔犬らは生れしものの当然の如く朝の光り浴びをり
母よりも悲しく生きしものありやことごく我を原因として
一日をたしかに満せし紅に楓は秋を輝きてをり
走りゆく落葉となりて風の吹き襟を押へて人歩みゆく
同じ程老ひたる人がひさぎゐて買はねばならぬ物のあらざり

風神は大きな袋担げると夕飯はやく食ひをはりけり
医師の言葉ひたすら守り過ぐる日日命令は死に関り生まる
計りたる体の数値メモをして我に告げず医師の去りゆく
薬包やみかんの皮など一人臥す室のくず篭もいくらか溜る
窓下に紅葉増しゆく一樹あり無視せる群をわれは眺めつ
開け口と書きあるところ開けられず力任せの力失せたり
屋上に赤き灯ともり迫りくる夕の闇を統べてゆきをり
更けてゆく夜のしずけさに読み居りし本を閉して坐り直しぬ
照り残る茜の雲も沈みゆき蒔に帰る鳥も絶えたり

2015年1月10日