無題(4)

杉の秀の光りし緑映しゐて山に囲まる池しずまりぬ
平らかな池の面に輪を描く虫のうごきて山しずまりぬ
あるだけの声挙げ幼の走り寄り帰れる母の脚を抱きたり
目の は大きく暗し鮓にする鯖くり抜かれ並べられをり
回る砥に当てし鉄より火花散りものを切る刃の形なりゆく
しろがねの露を置きたる万の葉の原は一つに光りを交す
救はれん魂ここに眠れると地蔵の掛けたる布のあたらし
日本の危機など記せし新聞をまとめ括りて納屋隅に置く
飯を盛る碗の形の簡潔をいつくしみゐて老ひ来るなり
美しく塗られし故に剥落の壁もつ堂を廻りゆくかな
剥落の姿の故の慈悲の顔まさり来れる仏に向ふ
もの掴む形に波の立ち止り砕けて泡に消えてゆきたり

鈴虫の鳴きゐる声の渡るとき怠惰に過ぎしにちにちのあり
岩の間に一つ生えたるりんどうの守れる青に咲きてゆきたり
金色に全身装ひ逝く秋の光りを浴びて公孫樹立ちたり
台風がゆさぶり菜の葉の萎へゐしが一夜過ぎたる張りを持たり
幼子は危く階段登りをり迷はず出せる小さなる腕
街に住む孫に送れと柿の実の熟れしを交互に持ち来下さる
竹の幹直ぐく並べる影黒く透かして夕の茜かがやく
すさびたる昨夜の風のまざまざと倒れし稲は縦横にして
賞められし言葉に我の声の浮き厭へる我となりてゆくかな

台風を防ぐと打ちし板外す音そこここに晴れ上りたり
同じ時間指せる時計はさまざまの装ひもちて並べられをり
殺すべく双のてのひら上げてをり這ひゐる黒き蝿の背の上
村人は眠りゆくらし亦一つ灯りの消へて黒き家並
月の差す白さに家並の瓦照りもの皆眠りに入りたるらしき
刈られたる後の稲田の草細く蔭に育ちしものは眺むる
昼食を告げたる孫は扉押へ出でくる我を待ちてをりたり
食ふために分けてゐる声捕へ来し魚は篭に黒き目をもつ
水を押し鴨ゆるゆると泳ぎをり猟解禁の始まるは明日

霜置けば枯るるひこばえ命ある限りの青葉伸ばしゆきをり
輪を作る少女等空へ響きゆく声の陶酔深みゆきをり
肺洗ふ空気しばらく吸ひ蓄めて本を読むべく窓を閉しぬ
鎖よりのがれんとして引っ張りし犬は素直な肢に戻りぬ
うすれゆく霧の中より紅き葉の先ず現はれて秋ふかまりぬ
おのがごとのみを語れるかたはらに疎み増しつつ肯きてをり
灯したる我が家のたたみにあぐらかき茶碗と湯呑手に取ゆきぬ
向けてゐる母の瞳に手を挙げて幼な童は歩みゆきたり
おとがひの肉の力の衰へて垂るるが映り店の明るし

苔さびし墓に向ひて君問ひぬ耐へ生くとは如何なる事ぞ
足音のわれに還りて冬原はいとなみおへししずけさにあり
めぐりゆく時計の針に廃屋とならんが為に建ちし家見ゆ
石垣の間に根差し育ち来て一輪の小さき花を掲げぬ
両手上げ泥より足抜き倒れたる稲を起して刈取りてをり
ひとかたと言へるは暗くにんぎょうと言へば明るき歴史もちたり
曇り来て光り沈める水の青そこより原の黙ふかし
誰が為といふにはあらず熟睡する裸女豊満の白きししむら
次々と霧の中行く人の影朝の歩みは淀みのあらず

集めても飛ばん術なくむしられし鳥の羽毛が散ばりてをり
支柱より伸びたる蔓は蔓と蔓巻き合ひ天に向ひてゆるる
はいりたる蟹は出られぬ構造の箱を沈めて人去りゆきぬ
ぐさと刃を刺し入れ柿のへた取りて女は皿に出してくれたり
誰も見ぬ故闇のやさしかり涙の頬を伝ひ来りて
開きたる朝顔青く日に澄むを領ちて朝の門を出でたり
おごそかに昇る朝日に背の直ぐき我となりゆき迎へてをりぬ
今日生きるならはしとして目覚めたる朝の口をすすぎゆくかな
すすぎたる朝の口に味噌の香の今日新しく啜りゆくかな

密々と木を組み交し建つ塔の匠の深き翳を仰ぎつ
夕闇に沈みてゆける目の冴へて光りあつめる水の白あり
耕して死にたる親に似て来り隣のをきなしわの増しゆく
掴むべきものあらざれば双の手をポケットに入て歩みゐるかな
ずり下るズボン露はに映りゐて旅する駅に鏡立ちたり
実の成るが神秘にあればくずるるも神秘にあらん熟柿落ちたり
柿の実のなべてもがれて黄に映ゆる光り失せたる畑となりたり
木の上に鳥の止まれり目の届く限りを見渡す頭を上げて
腰低く脚やや開き一輪車押せるは重きものを積むらし

落つる葉に肩を打たしめ秋の逝く林の中の我となりゆく
しべもたげ花びら垂るる野の草の滅びの中を歩みゆくかな
スタンドを埋めし人等こうふんに飢えたる声の応援送る
大空に球はしりゆき熱狂に渇ける声のドームゆるがす
せめぎ合ふ雨紋となりて飛沫立ち池の平らに雨の募りぬ
にらみ合ふ女の開く大きな目われはテレビを消して寝たり
木の蔭のなす幽晴に入りゆきて人に疲れし我のありたり
開きたる窓に入りくる風のあり動けるものはさはやかにして
重ね合ふ葉蔭を通ふ風冷へて長き山坂登り来りし

亦前のページに戻り読みてをり解きがてなるをよろこびとして
水落つるところに集ひ小魚は生きゐるものの動きを競ふ
見のかぎり稲葉のみどりゆれてをり遠きおやより耕しきたる
退院して日が浅いから暑いから読まざる口実次次ともつ
にじむ血に縮みて肉の焼けてゆき食ふべくたれの中につけたり
ごきぶりをたたき殺して口の端の歪める我となりて立ちをり
笑ひ声挙げたるときに思ひ出す名前となりて話はずみぬ
脱がされて自由となりし手や足に親の手を抜け幼はしりぬ
大きなるごきぶり茶色の背の光り人居ぬ卓を領じてをりぬ

耳動く猫との音の違ひなぞ思ひ追ひゆき日向にながし
山陰に舞ひ交ふ鳶の高くなり気流はそこに昇りゐるらし
熱き血の循りし記憶戦ひは愚かなりきと人の言ふとも
沸る血が全てでありし青春のわれは戦に出でてゆきたり
ボール蹴り転びし後を追ふ童一人遊びて休むことなし
柿の種切られて白き胚が見ゆ育ちて胚を作らん胚は
勾玉と胎児の形似てゐると遺跡展示をめぐりゆきつつ
休みなき活動として蟻の這ひ暮れてゆく日と姿消したり
地を灼く日差しの庭にふりそそぎ蟻はひたすら動きてゐたり

いにしえは賊の棲家の峠にて車窓に紅葉眺め過ぎたり
水かめの水を覗きて我を見る我の眼と向ひ合ひてをり
水草の朽ちて沈める底黒く冬池の水澄みとほりたり
目の合ひし雀飛び立ち残されて枯れたる原の広きがありぬ
行届く世話に育ちし大根の白つややかに洗はれ並ぶ
テレビには若き女が騒ぎをり亡き母に斯る日のありたりや
掻き上げて僅に残る髪の毛の多く見ゆるを写し出でゆく
引き捨てしカンナの株の根付きゐて命もちゐる領域拡ぐ
手袋が水の流れに沈みゐてものを摑まんゆらめきをもつ

生え継ぎて永き時間を展ぐると切られし胚は白く小さし
新たなる命を生まん白き胚胚に潜める胚限りなし
生まれたる時より見たる前山を退院したる瞳に眺む
もがれざるままに柿熟れ先祖らの植えし心もありてきたりぬ
鑑真の歌作らんと書いて消し大きな心至り難しも
風に乗る羽を拡げしおのずから鳶は大きな空に遊べり
己が弾く音に振りゆく首となりオーケストラはテンポを早む
水冷えて魚等しずめる冬の池澄みたる青の深さに湛ふ
湯気の立つ煮へし大根やはらかく息を吹きつつ舌に載せゆく

吹く風にはしれる紙を追ひかけて躍れる肢を犬の愛せり
大根の熱く煮へしを食べをりし人等次第に饒舌となる
大方は断りを言ふ人にしてベル鳴る音に立上りたり
病むは医者死ぬれば坊主後えんま委してわれは読むと定むる
死にたるが楽屋に入りて煙草吸ひ次に死ぬるが舞台に立ちぬ
美しく歩く練習などをして女は高き笑ひもちたり
誤ちてゐたかも知れぬ墓の前ひたすら己れに生きんとせしは
枯れ草の間に紅き葉のありて斜となりし光りが透かす
死にしもの病みたる者を数へ合ひ久方ぶりの出合ひ終りぬ

霜に萎へ地にはりつける葉となりて草は緑を保ちてをりぬ
くら闇の中に太れる憎しみの体を溢れ寝返りを打つ
芽生へたる双葉に水をそそぎをり赤き大輪信じられゐて
艶失せし手に支へゐる夜のあご思ひの痩せて追憶多し
吹く風枯葉散り落ち年老ひて言葉失せたるわが目の追ひぬ
電柱の一すじ並び枯れし草低くそよげる冬原となる
照したるライトの過ぎて夜の道の更なる深き闇を歩みぬ
生きし日の生活地下に作られて遺跡は上なるおごりを伝ふ
死して尚万の人をば酷使せし遺跡で塚は高く盛らるる

万の人苦しめ一人の王ありき埋めて高く土を盛らるる
人が人打ちて作りし塚高く王と呼ばるる人を埋むる
雲の間を流れて光り差し来り杉の秀光は天に鋭し
赤き花赤きに咲けり一年をいとなむ命しんともえ立つ
大きなるロマンも埋め土高き墳墓の主はここに眠りぬ
ここに沼ありて魚等も埋められし記憶うすれて舗道の広し
夜を待ち出でて来りしごきぶりの営みながき果にてあらん
移りつつ回りゐし独楽は一点の軸心となり回り澄みゆく
杖を突きよろよろとして歩みをり退屈とふより逃れんがため

湾曲の細さに月の光り冴え冷えたる冬の空裂き渡る
二千年一月八日まっさらの八十一翁胸張り歩む
赤き服着たる女が草枯れし冬の野原を歩みゆきたり
葉の散りて軒の露はに家並び冬は田に出る人影を見ず
ましぐらに猫は樹上に登りゆき喉もどかしく犬吠へ立てぬ
白鷺は水に映りて立ちゐたり草なき冬の池のしずけさ
いつまでも生きよと友と言ひ交しはかなき思ひ沸きてきたりぬ
死にしもの互に数へいつまでも生きよと言ひて友と別れぬ

狂ひたる女の舞が見せつけし命よ終りて帰る夜の道
夕茜うつろひ早く暮れてゆきひたいひたと寄る草蔭の闇
草枯れてユー型溝の白く照り冬の野原を分ちゆきたり
朝早き葉末に結ぶ露無数集ふは円を原型とする
征服をせしは英雄されたるは鬼と歴史は記し伝へる

2015年1月10日