2022年1月に全国で大学入試共通テストが行われ、鳥取大学でも雪の中試験監督に教官が何人か借りだされていました。東京大学の試験会場では名古屋の私立T高校2年生が、他の人を切りつけるという事件が起こりましたが、犯人は医学部を目指しているとのことです。翌日試験速報が新聞掲載されており、実際に出題された生物基礎の試験問題を見て吃驚しました。図のように光学式血中酸素飽和度計(コロナ肺炎で最近有名になったパルスオキシメーター)や酸素解離曲線を扱った問題が出ていたのです。その他、植物からのDNAやRNA量の測定、地球温暖化、細菌感染の防御や皮膚移植の拒絶反応など多岐にわたり、実際の実験方法を問う問題も出ていました。医学部の学生でも解けないと思われるものもみられます。多くの医学部入試の理科では、物理、化学、生物の中から2科目を選択しますが、生物は高得点を狙えないので、かなりの受験生は選択しません。私も実は物理や化学を選んだのですが、理由として解答をシンプルに割り出すことが出来るため勉強し易かった印象があります。物理学や数学ではまず基本的な理論と法則があり、それにのっとって色んな事象を解決するというものですが、生物学は「生命現象」を研究する分野で、まず詳細な観察に基づいて基礎となる事象を明らかにすることが求められます。実際私たちは医学部では「発生学」「解剖学」「病理学」などの基礎医学分野で人体の発生現象や細胞の形態などを勉強し、臨床医学では病気の診断法や治療など膨大な情報を吸収して「医学体系」を構築することになっています。ところが、受験勉強でゼロかイチかをきっちり判別する方法に慣れていた私たちは最初曖昧とも思われる「生物学」には大きな違和感を覚えたものです。確か大学医学部1年生の時に「生物学序説」という授業があり、最初の試験で「体内環境のホメオスタシス(恒常性)」や「生態系」等に関する問いでしたが、私も含めて同級生の成績は惨憺たるものでした。進化論の権威、分子古生物学者更科功氏は、東京大学教養学部に在籍中同級生が「数学や物理は良いけど、生物学ってアホみたいだな」と言っていたことを著書で書いておられます。我々の頃は高校授業で理科には物理、化学、生物、地学全てが必修でしたが現在では必須ではない高校もあります。私の大学の同級生で現在大阪大学医学部病理学教授をしている仲野徹先生は著書の中で「一部の超エリート進学校では生物の授業を受けない生徒もいるとのことで、生物学は医学の基本でありますがこのような状況で医学部を目指して来る学生が多いのはこれで良いのでしょうか。このような学生が医学部に入って興味が持てるのでしょうか。」と嘆いています。
また、先の事件に関して思うことですが、実際の医療現場では多職種の人とのチーム医療が大きなウエイトを占め、医師の資質形成に関して人とのコミュニケーション能力を学生生活で養うことが重要となります。大学医学部に入る前の高校生活や入学してからの「人との付き合い」が大事であったと今さらながらに感じています。大学受験時代に私が神戸の予備校に通っていたころは、予備校で知り合ったN高校やK学院高校の気の合う5人の友人達と模擬試験の後食事に行って、将来の夢や現在の悩みなど語ったもので、うち3人は医師になっておりいまだに交流があります。大学に入ってもクラブや実習仲間との交流が良かったと思います。ところが今や高校生活はコロナ対策で人間関係が分断され、授業はWEBを通して行われ直接の友達との触れ合いは出来ない状況です。もっと初期に人格形成を行うべき小学校や幼稚園では「おしゃべりはダメ」など、あまりにも非生物のウイルスを攻略することのみを重視し、現在は人との交流を摘み取るような対策が公然と受け入れられています。このような人的な交流の無い社会で個々人は試験の成績、偏差値のみを重視し、偏差値が将来の全てを支配すると考えるようになり、絶望につながる衝動と自分を抑えきれなかった上記の高校2年生も、ある意味コロナ禍の犠牲者といえます。(2022.2)