風流の一考察

 一月二十一日万勝寺で護摩供養が行われるというので行って見た。恥かし乍ら私は護摩を焚くのを見るのは初めてだったのである。時間が少しあったので境内をぶらぶらしていると「よう長谷川」という声がする。声の方に目を向けると「近頃永沢寺へよう行っきょって」と言う、顔に見覚えがない。五十数年の風雪は一人の人間の顔をすっかり刻り変えたのであろうか、これ程親しそうに言うからには大分親しかったに違いないとおもう。それが何うしても記憶の中の顔に繋って来ないのである。私は苗字を呼び返したかったが諦めて「いや長いこと行かずや」と答えた。それから彼は永沢寺の近況を教えてくれた。別れてから若かった当時の出会いの数々を思い出していた。その内に不意に土地の素封家吉田氏の顔が浮んで来て、氏が「風流とは何ういうことですか」と問われたのを思い出した。丁度氏が禅宗の血脈を受けられるとかで、多くの僧が盛装して名僧知識然と並んで居られたところであった。そのとき誰もが「さあ」と言って答えることが出来なかった。私も名差しされたが言うことが出来なかった。風流という言葉は最早博物館の隅に投げ込まれた遺物となったようである。現在の少年少女の半ばはそんな言葉を耳にしたことがないのではないかとおもう。併し少くとも終戦迄は風流を解するとは教養の最たるものであり、人々は風流人と言われることを望んだのである。私は思い出し乍ら風流といった如きものが日本の生命形成の形の根源をなすのではないかと思った、そして風流とは何かと考えた。併し雲を掴むようで一向に進展しない。これは迎も此処で考えられる問題ではない、家に帰って考えようと思った。

 風流とは字の通りに解すれば風が流れるである。併し風流とは人間の日常を超えたものであり、風流人とは和歌、俳諧等に関る人であった、風が流れるといった自然現象ではなくして、人間の表現に関るものである。風流とは風に托した人間の心である。風流の外に風俗とか、風土とか種々のものがある。私は人間に関るものとしての風の字が何のように使われているかを見るべく辞書を開いた。そして私は其の数の多いのに驚いた。曽って魚の鰤には生れてから成長する迄に幾つかの名前がある、それは日本人がその味覚を尊んだからだというのを読んだことがある。私は日本人が風に托した方向に如何に自己を見出だし、掘り下げて行った証でないかと思った。全部挙げることは大変面倒なので重だったものを列挙して見る。先ず生活に関るものとして、風土、風習、風俗、風説、風聞、風評、風紀、風潮等があり、個人に関るものとしては、風格、風采があり、日常を超えたものとしては、風流、風雅、風光、風趣、風韻、風物、風味等がある。読み乍ら私が第一に感じたのは、人間の意志のはたらきが見られないということである。宣長がさかしらといったものがないということである。

 生命は形成作用である、形成することによって生命である。人間は自覚的として形成は意志的である。それが意志が見られないとは何ういうことなのであろうか。私は生命の形成作用に二つの方向があるとおもう。それは時間の形相と歩調を合わして、一つは過去からであり、一つは未来からである。過去からとは、初めにあったものがこれを成じてゆくものである。おのずから成る方向である。未来からとは成ったものが形をもつ物として、物が物を呼ぶ方向である。欲求を底にもつものとして、無限に形が呼ばれるものとして未来がはたらくのである。前者の方向に自然があり、後者の方向に歴史がある。人間は物を作る生命であり、物を作るには意志がはたらかなければならない。併し意志をもつものは身体であり、身体は生れたものとして自然に成るものである われわれ人間は歴史的自然として物を作るのである。私は歴史も亦成るものとして、初めが成じてゆくもの、おのずからなるものが、みずからとしての意志を包む方行に生命形成があるとき、そこに意志が見られないということが成立するのであるとおもう。意志がはたらくということも身体がはたらくことをとうして、自然が自然を見るものとなるのである。そこに意志が括弧されるのである。

 意志は人間がはたらくことである、それに対して自然が成るとは万物が成るのである。人間もその中の一として成るのである。成るとは形を変じてゆくことである。私達はコスモスが繁って無数の花を咲かせているのを見るとき、種子の内に既に斯る形の潜んでいたのを知る。併し種子が一定の形を潜ませていたのではない、更に肥沃な土地に芽生えておれば、更に大なる繁茂をもち得たし、乾燥の土地に芽生えておれば数枚の葉と一輪の花しか持たなかったかも知れないのである。然も双葉の何処を探しても花はない、而して忽然として咲き出ずるのである。それは無にして現われるのである。

 われわれは自己の何処より来り、何処へ去りゆくか知らない、禅家でよく父母未生以前の己の所在を問う、それは無より来り、無に去りゆくと言うより他ないものである。私はそこに風に見出した日本の生命形成があるとおもう。空気も今は物質である、併し昔時に於て虚空は無であった、風は無にして現われるのである。私は風流はそこに基盤をもつとおもうのである。そこに徹せんとするのである。

 ここに無というのは何もないということではない、変化によって自己を見てゆくもので ある。消えることによって現われるものであり、死することによって生れるものである。 全ての形がそこより生れるものであり、その中に死んでゆくものである。全てがそこより現われるものとして全有であり、そこに死んでゆくものとして絶対の無である。われわれは万物の一として、そこに現れ、そこに消えてゆくのである。消えてゆく面より見るとき絶対の無への沈没であり、現われた面より見るとき絶対の有の顕現である。それは生死が一つということである。生死を超えた生命が自己を表わしてゆくということである。今のこの我は生死に自己を運ぶ生命が有の相をもったということである。

 生死一なるとき、生と死を距てて相対立する万物は対立がそのまま大なる調和となる。闘かう生はそのまま照し合う生となるのである。風流はそこより生れたとおもうのである。而して相対立する生をそのまゝ大なる調和とするのは宗教の世界である。風流の世界は身体を相対立する相互否定の世界より離して調和の風光に遊ぶのである。死の断崖に身を絶して絶後に蘇るといった痛切なる体験を経るのではなくして、その余光に浴するのである。死をもって迫ってくるものより身を避けて万物と生を照し合うのである。併しそれは風流の道が安易であったということではない、余光といえども相対の世界を超えることは新たに生れることである。自己の中に自己を見ることである。目は生命の奥底へと繋らざるを得ないものである。風流人と言われた俳人、茶人はそこに心血を絞らなければならないものがあったのである。

 斯かるものとして風流人が見出そうとしたものはおもむきと言われるものであったとおもう。おもむきとは面を向けることであると言われる。そしてそれに対する言葉が背向くであると言われる。おもむくとは生の方向、肯定の方向にあり、そむくとは死の方向、否定の方向に見られるようにおもう。私はそこに同じ生命として出現した万物が、その形に於て照し合う処におもむきがあるようにおもう。同じ生命がさまざまの形をもつ不思議に生命の拡がりを見るのである。それを逆に言えば、さまざまの形の根底に流れる同一の生命を見るのである。そこに驚きがある、驚きとはわれを包む生命の大に接見することである。さまざまの異なるものが大なる一の生命の現われであると知るのが調和である。和の光りに照らしてさまざまの異る形が、大なる生命の陰翳を宿すのを知るのが面白いということである。斯くして風流の道は調和を求めて、一瞬一瞬の変化におもむきを見出す無限の努力となったのであるとおもう。

 よく床の間や、鴨居の上に雪月花という字の掲げられているのを見る、私はそれは風流人の賞すべきものの象徴ではないかとおもう。日本は世界でも四季の移り変りの最も鮮明な国のようである。万物が一の生命の出現であるとすれば、変化の最も鮮明なるものは、調和の最も鮮明なるべきものである。雪は冬を、花は春を、月は秋を象徴するのではないかとおもう。そして移り消えゆくものにもののあわれを、化し現れ来るものに充足のよろこびを見たのであるとおもう。そこにあるのは対立するよろこびとかなしみではない、移るものとして同根のよろこびかなしみである。よろこびかなしみは胸底をしずかに流れる のである。一葉の落ちるのにかなしみ、一草の芽生えるによろこぶのである。 人の生死も 移るものとして同根のよろこびかなしみとなるのである。そこに風流人は日常を超えた 観照者となるのである。

長谷川利春「自己の中に自己を見るもの」