自然

 私は幼児の頃の思い出を殆んどもたないようである。目を閉じるとブリキで作って、色 を塗った太鼓を持って、坐っている自分の幼ない姿が模糊としてうかんで来る。余程長い間持っていたのか、大切なものであったのであろう。勿論年令も分らない。

 母の語ってくれたところによると、私は大変喋べりであったらしい。絶えず母に「これ は何」と言って聞いたらしい。余りうるさいので「黙っとり」と母が言うと、「うん」と 肯いておとなしくなるが、暫くすると「お母さんこれ何」と言ったらしい。

 近所のおじさんの話によると、毎日近くの小溝の石橋の下を覗きに行っていたそうで ある。「何をしとんのんどい」と尋ねると、「どんこ、どんこ」と答えたそうである。何でも少し前にその橋の下でどんこをみつけて取ってもらったらしい。勿論毎日といっても、 十日か長くて十五日位だろうと思うが、記憶にないので何とも言いようがない。

 私の村は田舎の例にもれず、四方が山で囲まれている。私が今でも明らかに覚えているのは、その見ゆる範囲内が世界であると信じていたことである。山の向うに親類があって叔父さんが居られると言われても、その有様を想像することが出来なかった。併し時々訪ねて来られる叔父さんの存在はすこしも疑っていなかったのである。唯その叔父さんも寝起きをし、耕すところが必要だということなどを思いもしなかったのである。山の向うにも家があって、人が住んでいると判ったのは、大分大きくなって連れて行ってもらってからである。そしてその村を囲んでいる山を見て、ああ彼処迄が世界かと思ったように憶い出す。併し我が家に帰ってくると、我が家から見える範囲が矢張り世界であって、叔父さんの家から見た世界は夢のようであった。それでも歩いて行って、帰って来た疲れがなまなましい間は実感が残っていた。日が経つにつれて淡くなってゆくのであった。在るものは感覚の事実であって、思惟の内容ではなかった。

 まえにも書いた如く、私は雑魚取りが天性好きだったようである。学校から帰ると、鞄を 放るのももどかしく、まえがきという網をもち出して近くの溝へと急いだ。そして草蔭や木の根の垂れ下った処などをすくった。獲れるのは三回に一回位であった。それでも鱗が銀色に光って跳ねるのを見ると、小踊りする心臓を覚えるのであった。あの頃よく替取りというのをやった。水をせき止めて替干しにして獲るのである。それはその中の魚を残らず獲れるということに於て、すこぶる満足すべきものであった。併しそれは水を替る、泥をかき分けてゆくという労力が必要であった。二時間もすると、幼ない腰が伸びない位であった。それでも泥の中で摑える、泥鰌や鮒の動く感触は私達を何時迄も飽きさせなかった。斯くして学校から帰ってから、暗くなる迄夢中になったものである。

 亦よく山の斜面になった所へ辷りに行ったものである。そこは丁度県道に面した所であった。土が崩れ落ちない対策であろうか、斜面は四十五度位な勾配になり、水の流れ落ちる浅い谷が幾筋かつけてあった。その谷の上から、尻に藁の束をあてがって辷り落ちるのである。その頃の綿布は弱かった。私達はたえずズボンの尻を破っていたようである。

 育ち盛りの少年にとって、自然とは躍動感を充足させてくれるところであったように思う。筋肉覚、関節覚に於て最も深く自然に関っていたように思う。幼少時の自然との交渉は楽しい思い出ばかりである。

 その頃小学校には毎学期遠足というのがあった。低学年は近くの寺へ行ったり、四K程離れた駅へ汽車を見に行ったりであったが、三年生、四年生になると、三木の城跡や、朝光寺に行き、高学年になると清水寺辺りへ行ったものである。いつの頃からであるか判らないが、山で囲まれている範囲が世界であるという観念は消えていた。それのみでなく、高い山から海の涯しないものを眺めた時に起る無限なるものへの思慕が生れていた。

 感覚だけではなく、地理などで教えられた世界なども、実在するのだという確信が生れて来ていた。それはコロンブスや、マゼラン等の冒険物語を読んだ、血の躍動が根源にあったように思う。血の躍動が知識を呼び、知識が血の躍動を呼んで、私の想念は果しなくふくらんでゆくのであった。

 それと同じ頃であったか。それより少しおくれた頃であったであろうか、太陽が落ち、 夕闇が草木を沈めてゆくのを見ると、言いようのないさびしさに襲われた。併し私は好んでと言えば語弊があるが、夕方になるとその寂寥に襲わるるべく、門前に出でて西の空を眺めた。その頃から私の心は哲学や宗教へと急速に傾斜して行った。私はこの寂寥の奥底に、天地を司る真理の予感をもっていたのである。

 亦自然科学は、自然が整正たる秩序をもつことを教えてくれた。雑然たるこの自然の動きが、全て厳密なる運動の法則によることを教えてくれた。併し私は物力の法則にあまり関心をもつことが出来なかった。私は唯一者を、生命の永遠を求めたのである。

 私は今自然とは何かを問おうとしている。私にとって自然は、与えられたものでも作ら れたものでもなかった。私の行動がそこにあるものであった。血が湧き、足が歩み出る身体の外延としてあった。そこにあるのは純一なる生命の流れである。

 人間とは斯る純一なる生命の流れの、初めと終りを結ぶ生命である。流れるとは矛盾をもつことによって流れ、行動とは矛盾に於て行動するのである。生命が矛盾であるとは、内外相互転換的であることである。動物に於ては、外に食物を摂ることによって、内に身体を養うことである。生命は内外相互転換的として、食物的環境と身体は動的一である。感官は身体が環境を内包するところにあり、環境が身体の外延であるところに成立する機能である。感官にとって環境とは呼ぶものであり、輝くものである。

 初めと終りを結ぶ生命とは、内外相互転換を節目として、流れを一々に断ち切り、断ち切った一々を蓄積することによって、より大なる形相を実現してゆく生命である。分断し蓄積してゆくのが理性であり、理性を実現するものは言葉である。より大なる形相とは製作的生命となることである。

 ここに於て生命は作るものと作られたものとの二重構造となる。人間は瞬間的なるものが永遠なるものとして、歴史的形成的となるのである。歴史的形成の世界に於て、与えられたものとして、質料として文化に対する自然が出現するのである。自然から文化が生れたのではない、純一なる生命の流れを分断されることによって、分断されたものの方向に自然が見られ、分断するものの方向に文化が見られるのである。自然とは自覚的生命の内容として見られるのである。

 私は前著に於て、自然とは経験の露わなものであると言った。経験とは一瞬一瞬の内外相互転換を、永遠なるものに映す行為である。内外相互転換的に行為する生命が、一瞬一瞬を永遠に映すのが経験である。自覚的生命が二重構造的であるとは、自覚的生命は相反する二つの自己限定の方向をもつということである。一つは理性の方向であり、一つは内外相互転換としての本能の方向である。一つは言葉の秩序による混沌の把握であり、一つは混沌の中よりの言葉の創出である。秩序の創出である。経験とは身体による理念の創出への行為である。

 内外相互転換としての生命の純一な流れは理性の光りに照して混沌の世界である。併し内外相互転換の世界は単に混沌ではない。外を内に転ずるというのは、機能的であり、造的であるということでなければならない。我々の身体は構造的機能的であるが故に食物を血肉化することが出来るのである。

 私は自然とは、山や川や草や木というのみではなく、深くこの我の身体というものがあると思う。内外相互転換としての生命の純一な流れは、この我の身体がもつのである。自覚的生命とは、身体が本能と理性の二つの相反する二つの方向をもつということである。本能が構造的機能的であるが故に、我々は自覚としての構想力をもち得るのである。

 身体は生れ出ずるものである。私はそこに自然の最も深い姿を見ることが出来るとおもう。生れ来ったものは生きようとする。身体を維持しようとする。本能とは身体維持の意志である。驚異すべき自然の精緻なる構造が理性にとって混沌であるのは、理性は他者と我の関りの秩序であるのに対して、本能は個維持の構造なるが故である。

 混沌は活力である。生きんとする力と力の表出が混沌である。よく駅のポスターなどで 『自然を求めて田舎へ』、『文化を求めて都会へ』と書いてあるのを見る。私は都会の人々が自然に求めるものは、生れ出で育ちゆくものの中に漬り、自己の生命の原型に触れる ことによって、新たな活力を呼び戻したいが為であると思う。自己の手や足によって、木の枝を掴み、岩の道を走った古代人のあらあらしい血を呼び戻したいがためであるとおもう。

 生命の流れとは矛盾に於て流れるのである。全て動きゆくものは否定をもつことによって動きゆくのである。併し単なる否定があるのではない。否定は常に肯定に転ぜられるものとして否定である。そこに内外相互転換としての生命がある。外は内の否定であり、内は外の否定である。内は外を内ならしめんとして内であり、外は内を外ならしめんとして外である。純一なる流れとは、生命が内外相互転換的として、内外相互転換的に一なることである。それが自覚的生命として内外相分つとき、外と内とは何処迄も否定し合うものとなるのである。

 自然の暴威という言葉がある。それは仮借なく生命を奪い去る、自然の絶大なる力に与えた言葉である。純一なる生命の流れが、自覚に於て自他相分ち、内が外に面したとき、外とは斯る絶大なる否定する力であったのである。暑熱、酷寒、暴風雨、大火、猛獣、細菌等の取巻く外界であったのである。縄文人は穴に難を避け、石や木をもってこれ等に対したのである。囲繞する鬼神・悪魔に対して呪文をもって対したのである。

 斯かる限りない死に対面しつつ生の営みを持ちつづけたのが我々の身体である。死に面して獲得して来た機能が創造的生命の内容である。我々の生命は一度獲得した能力を保持する性能をもつ、無限の生死の繰り返しの内に獲得し、蓄積して来た能力の集積が形相である。外が内の形を作るのである。我々の身体の形は、囲繞する外界の力の形である。身体の形は風土の投影である。生命発生以来幾十億年の否定と肯定と、死と生の闘争の中に獲得した機能の集積として、囲繞する世界を外の自然とし、身体を内なる自然として、内外相動転するのが自然である。

 機能とは否定を肯定に転ずる力である。肯定に転ずるとは死を媒介として、より大なる生を見出すことである。死として迫ってくる外的世界を力の表出に於て、内なる身体の秩序に変えてゆくことである。機能とは外を内なるものに変えてゆく生体の構造である。外的世界の投影である身体は、投影であることによって、外的世界を身体に馴化せしめるのである。内外相互転換とは内と外の力の相互転換として無限の動的緊張である。此処に内の身体に対して外は環境となる。

 私は自然という言葉が何時出来たか知らない。恐らく穴に住み、石を持って外敵に向った縄文時代にはなかったとおもう。自然とは人工とか文化の対概念である。人工の対概念であるとすれば、文化が余程進み、文化に疲弊症状が現れた時に、文化の基底として問われた言葉ではないかと思う。人工とは内による外の限定が製作的となったことである。製作は余剰価値という対象の肥大を招く、この肥大が文化として人間の優越であると共に、余剰によりかかることによって内と外の生命の対抗緊張を失わしめる。製作するとは、製作する生命として生れて来たということである。生れて来た生命とは幾十億年の内外相互転換を内にもつものとして生れてきたのである。時を背負う創造力として生れてきたのである。

 対立概念とは否定的に一なることである。自然は文化を否定し、文化は自然を否定してあることである。それが一なるとは文化は自然によってあり、自然は文化によってあるということである。

 文化とは自覚的表現的生命の形相である。表現とは何ものかが形となって表われることである。製作は身体によってなされる。私は身体によってなされるとは、身体の外化の意味をもつものであると思う。身体の外化とは幾十億年に亘って形成し来った、身体の秩序に於て構成することである。内なる自然が外の自然を変革することである。道具は手の延長であると言われる。道具は身体より見て外なるものである。それが手の延長となるとは、道具によって作られるものは、身体の外延となるものでなければならない。製作するとは、内外相互転換として相互否定としての外を、身体の秩序に随わしめることによって、内によって転じてゆくことである。

 併し作る身体を作ることは出来ない。身体は生れるものである。それは意志を超えた自然の延長としてある。而して身体の外化とは、自然の時間の蓄積して来た身体の構造機能の外化である。斯る観点からは製作も亦自然の内面的発展であると言い得る。自然は克服されたものではなくして、斯る深さに於て自然である。生れたものが作るものであるところに我々の身体がある。而して生れ来ったものが包蔵するところのものを表現するのである。斯る観点からは製作としての歴史的形成も、自然の生命創造の延長線上にあるということが出来る。

 身体が自然と歴史の交叉としてあるということは、歴史的形成は生命の自己形成として歴史の根底に何処迄も自然があることであり、世界は歴史的自然としてあるということである。私は自然という言葉が生れたのは、この歴史の根底としての自然の把握によるのではないかと思う。

 三輪神社の御神体は三輪山であるといわれる。山が御神体である時、山は自然なのであるか、私はそこに異次元に於て捉えられている山を見ざるを得ない。歴史は内面的必然をもつことによって歴史である。歴史的自然とは斯る内面的必然の目によって見られた自然である。それは自然が歴史の中に没し去ったということではない。自然が真に自然になったということである。自然が自己の中に内面的発展をもつということが、自然が歴史的自然となったということである。自然が内面的発展をもつということは、身体の外化を呼ぶものとなるということである。神体としての山が異次元と考えられるのは、それが内なるものの外化を呼ばないが故であると思う。

 内外相互転換としての生命が、主体的方向に機能的構造的であるとは、客体的方向にそれに対応するものをもつということである。それは法則的である。逆に言えば客体的方向が法則的なるものをもつが故に、主体的方向が機能的構造的であることが出来たのである。内外相互転換は対応的である。生れたものが作るものである自覚的生命に於ては、生れたものと作るものが対立する。作るものは生れたものを否定することによって作るものであり、生れたものは作るものを否定することによって生れたものである。その否定が内面的必然である。否定を介して歴史は歴史となり、自然は自然となるのである。神体としての山は、歴史と自然の未分以前としてあり、形相は歴史と自然の混融としてあるのであるとおもう。

 ふるさとの山にむかひて言ふことなしふるさとの山は有難きかなと詠われた山、清冽な流れのひびく小川、たたなわる峯、そこは超越者としての神の住み給うところではない。我々の身体と連り、情感の交うところである。私は斯る自然は、自然が無限の内面的発展をもつことによって見られたものであるとおもう。即ち一方に作るものとしての、歴史の内面的を、生れ生むものとしての自然が宿すところに見られたものと思う。山や川は生むものとしての大地である。もし生命を生むという意味がなかったならば、どうして我々は情感を交すことが出来るであろうか。茸が生え、わらびが生え、小鳥や兎が繁殖する山にして初めて我々は有難き哉と言い得るのである。そこは我々のいのちを養うところである。いのちはいのちあるものを資として生きる。大地は生むものとして、植物の生えるものとして、我々は植物によって生きるものとして、母なる大地である。自然の本源はそこにある。

 内面的発展とは自覚的生命となることであり、外を対象化することである。作られたも の、見られたものが逆にこの我を作るものとして包むものとなることである。無限に純一 なる流動を断ち切って、内外を対立せしめることである。内が外を作り、外が内を作るのである。私達は山や川を、我々の生死を超えた無限の時間の相に於て見る。私は斯る自然観の根底に、自覚的生命の無限の歴史的形成があり、歴史的形成の反極として見るのであるとおもう。祖先の無限の創造的努力があるのである。私達は深い山に静寂を見る、この静寂を見る目は、祖先の無限の生命創造の目を、この我の目が宿すことによって見ることが出来るのである。

 生れたものが作るものであるとは、作るとは与えられたものの否定であると共に、何処迄も与えられたものの底深く入ってゆくということでなければならない。作るものは、生れたものの根底に還ってゆくのであり、歴史は自然が自己の根底に還るということにあるのでなければならない。作るとは自己を外に見ることである。自己を模してゆくのである。作られたものを内として、外に表わしてゆくのである。それは身体的に創造し来った生命が自己をより露わとすることである。

 歴史的世界とは製作的であり、製作とは過去と未来が現在に於てあることである。過ぎ去ったものが現在として形相を実現してゆくことである。内外相互転換としての、無限の行為の蓄積が、現在の内外相互転換に働くのが製作である。無限の過去と未来が現在にあるものとして、永遠なるものが働くところに物は作られるのである。

 併し形あるものは壊れるという言葉のある如く、物は永遠なるものではない。物に映さ れた歴史の世界は何処迄も変遷の世界である。死の深淵に参会する世界である。物に於ては過ぎ去ったものが働くということがない。壊れた機械が働くには、今一度人間の脳髄の中を通って来なければならない。

 自然の世界は繰り返す世界である。日々歳々を繰り返り、生命は生死を繰り返す世界である。そこは初めなく、終りなき世界であると共に、初めが終りである世界である。私は永遠とは斯る世界が物を浮べるところにあると思う。斯る世界の自覚として、自己を外に見たものであるとおもう。内外相互転換の集積は繰り返す生命なくしてあり得ないものである。永遠の今とは変化が常に同一であるということである。それは行為的現在がくり返しの上にあるということでなければならない。自然が自己自身を見、製作的行為的に自己自身を見るのが歴史であると思う。歴史は初めなく終りなきところより出で、初めなく終りなきところに帰るときに救済をもつのである。一瞬の過去にも帰ることの出来ない時間の流れは、初めと終りを結ぶものに於て成立するのである。そこに歴史の奥底としての自然があるのである。

 あるものは相互媒介的にある。歴史の奥底に自然があるとは、自然の究極に歴史があることである。自然の上に歴史があるとは、自然は歴史によって現われることである。歴史が自然によって救済されるとは、自然は歴史によって永遠を露わとすることである。相互媒介的とは否定を媒介することである。かって「死について」に於て言った如く、永遠は絶対の死をもつことによって永遠である。 永遠とは無限の時間ということではない。流れて止まない歴史的時間が、日々の行持に実現されていることである。日々の行時は自然のもつ生命の反覆に於てあるのである。禅家に日々是好日という言葉がある。それは歴史を透過した自然の深い自覚としてあるものと思う。絶対死の底に見出した深い生命であるとおもう。

 文明が行き詰ると、自然に還れという声が何処からか起って来る。それは生れたものが作るものである必然の推移であるとおもう。生命としての自然は、作るものとなることによって何処迄も自己を深めてゆくものである。生れ来ったものを内として、外に表現してゆくものとして、生命に何処迄も深大なるものを見てゆくものである。作られるものの転換は作るものに求めてゆかなければならないのである。内外相互転換の原型に還らなければならないのである。

 それは最早自然ではないと言い得るであろう。歴史を否定する自然は、歴史によって否定されたる自然である。併しそれによって自然は純なる自然となるのである。歴史的自然として、自覚的生命に於て自然と歴史は対立する。対立するものは否定し合うものである。対立するものを否定するにはいよいよその本性が明らかにならなければならない。女性が男性に対することによって、いよいよ女性となる如きものである。

 我々があの山、この河として、踏破し水浴するのは最も表層的な自然に外ならない。 それ以前に薪する山、渇して水を飲む川があったのであり、以後に自然科学へと発展すべき自然があったのである。生存に即する自然があったのである。生存に即する自然が製作の内容へと発展し、歴史的自然となったのである。私は老子の大道すたれて仁義ありといった自然の如きも、歴史的自然に立脚点をもち乍ら、その歴史的方向を捨象したところに見られたものであるとおもう。

 本文の最初に私は経験として見出した自然を叙述した。自覚的生命に於ての内外相互転換は歴史的形成的である。併しその形成は何処迄も身体を媒介するのである。それは経験的である。内外相互転換は身体なくしてあり得ないものである。生れたものとしての自然の上になり立つのである。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」