死について

 甲「やあよく来たね、今此の間の話をした神についての歴史的現在の側面として、死について考えていたところなんだ」

 乙「是非聞きたいね、昔からの最も大きな問題だからね。それでよく肉体は死ぬが霊 魂は不滅だと言われるが君はそれを何う思うかね」

 甲「うんそれはこの間も言ったように、初めて死を知った時に見出した不死なるものの相だね。時間を超越したものとして、兇時の根源としての巨大な力として、原始社会が見出したものだね。僕はそれは原始社会のトーテム意識に対応して生まれたもの だと思うんだ。近代の因果律は最早それを受け入れる事は出来ないと思うんだ。考え て見給え、頭を一寸打っただけで言葉に障害が起こり、脳内の血管が一本切れただけで記憶を失う人間が、肉体が全然腐乱して尚地下や天上に我々と同じ生活を続けると言う事がどうしてあり得るかね」

 乙 「それでは霊媒者なんかは何うなるんかね」

 甲「僕は霊媒なんか信じないが、若しあったとしてもそれは霊媒者の能力であって、 向こうが直接語りかけて来ない限り同じ生活をしているとは考えられないんだ」

 乙「それでは霊魂と言うのは他愛ない想像の産物と言う事かね」

 甲「いやそうじゃないんだ。何うして他愛ない想像が人類幾千年の行動を規定し、支 配する事が出来るかね。人間はそれ程馬鹿ではないよ。僕は人間は自覚的として、存在するものは全て存在の自己限定としてあると思うんだ。不滅の霊魂は、人間は本来永遠なるものであり、人間の本質の具現であったが故によく現実社会を支配する事が出来たと思うんだ」

 乙 「それでは霊魂を認める事ではないのか」

 甲「うん唯肉体を離れて霊魂があり得ないと言うのだ。霊魂が永遠なるものの別名で あれば霊魂こそ人間存在の根源的なものだよ。唯肉体が死したる後に遊離して地下や天上にあると言う事はないと言うのだ」

 乙「それではよく言われるエネルギー恒存律とか、物質不滅とかの如く一分子に霊魂 が宿り、生死は波の高低の如きものと言うのかね」

 甲「いやそうじゃないんだ。我々は一つの統一体として其の瓦解が死なのだ。一分子 に瓦解して、感覚も思考も持たないものが何うして自己を限定する事が出来るだろう。自己限定のないところに如何なる霊魂があると言うのだ。永遠と言うのは統一体それ自身が永遠でなければならないのだ」

 乙「それでは遺伝因子によって親から子へ、子から孫へと連続してゆく事かね」

 甲「いやそうじゃないんだ。遺伝因子による連続は草や虫にもあるからね。それは自 然現象として、自然の流転の変化の相に外ならないのだ。勿論草は枯れ、虫は死ぬ。併しそれはまだ本当の死ではないのだ。少なくとも今我々が一大事として問題にする死ではないのだ」

 乙「それでは本当の死と言うのは何ういうものかね」

 甲「それは不死なるものを見たものが自己の死に面した死なのだ」

 乙「もっと具体的に言ってくれないか」

 甲「それは自己が自己を知ったものの死なのだ。自己が自己を知るとは対象形成的に外に自分を投げ出し、外に自分を見出してゆく事なのだ。たとえば鏡に映して初めて自分の顔を知るようなものだ。世界を創ってゆくのだ。丁度鏡に映してより美しい自 分を創ってゆくように、世界を創る事によってより大きな自分を創っていくのだ。その事は世界の中にある我々は逆に世界を自分の中に持つと言う事なのだ。自然の連鎖 を断ち切って個的人格として個的人格が生まれる事なのだ。この我が成立する事なのだ。そしてこの前「神について」に言ったように世界は超越的として永遠の相を持つ のだ」

 乙「その個的人格の死が本当の死なのかね」

 甲「そうだ。自然現象を超えてこの我この君となった時、死は単なる流転を超えて絶 対の死となるのだ。我々は死を知るのだ。最早帰らないこの僕そして君として死ぬの だ。自然的なものが種と個が即自的なのに対して、我々は世界と個我として分離する ことによって死は絶対となるのだ」

 乙「それでは自覚以前は人間でも本当の死ではないのかね」

 甲「そうだ。今でも呪術社会以前の未開人がいるそうだが、生死に対して如何なる感 情も如何なる儀式も持たないそうだ。死を知らない処に本当の死はないのだ。現在で も植物人間と言われる人には本当の死はないのだ」

 乙「君はいつも呪術社会は人間の自覚の原初の状態だと言っているが、死んでから地下に生活すると言う考えも絶対の死と言い得るのかね」

 甲「うんその自覚の深さに対応して種々の現象が見られると思うんだ。その意味で呪 術社会はまだ本当の個的人格の自覚が生まれていないと思うんだ。真の自覚は種族的であり、家族、氏族的であり、其の対応として悪霊であり、祖霊であると思うんだ。 而し其の中にすでに絶対の死の影はあると思うんだ。君考えて見給え、霊魂が分れて地下は天上に同じ生活をすると言う事は、我々は本来の永遠の生活に入る事であり望ましい生活ではないのかね。それを何故に悪霊として恐怖の対象にしたのか。それに絶対の力を付与して、地上の制約者としたのか。それは絶対の死の背景なくして考えられないのではないのかね。」

 乙「うんそのとおりだと思うよ。而し君の言う事にはもっと深い矛盾があると思うよ。 君は人間は本来永遠なるものであると言っていたね。そして死は絶対の死と言うのは 何ういう事なのかね」

 甲「前にも言ったように我々は自覚的として対象形成的に世界を創っていく。我々が 人生のはかなきを思い、無常を嘆くのはこの世界を限りなきものとして、其の中に自己の泡沫を見るが故なのだ。其処に絶対の死があるのだ。我々が有限なるものとして無限なるものへ持つ憧憬と希求の無限は数学的な連続ではなくしてこの世界なのだ。神についてに於いて言ったように悪霊、祖霊を始祖とする神は世界の内容なのだ。其処に恐怖と祈祷があった。而し今我々が面している世界は人間の相互限定として内在的なものなのだ。人間の自己創造として歴史的なものなのだ。我々が内に真に人格になる事によって外に歴史的となったと言い得るのだ。そして歴史的世界こそ真に永遠なるものの相を現わすと思うのだ。西田先生がこれ迄の哲学の中心問題は神であった。これからは歴史となるであろうと言われた所以は此処にあると思うんだ。そして我我は尚素朴な連続性の残滓を持つ「死して護国の鬼とならん」と言った霊魂から解き放たれて絶対の死となるのだ」

 乙「そうすると我々は古代人が怖れた絶対の死の実現者としていよいよ不幸になったのではないのかね」

 甲「そうだ。我々は虚無と絶望の魂の放浪の旅へ出るべく余儀なくされたのだ」

 乙「而し古代人が祈りに於いて絶対への帰一をなしたように、我々が自己を他に見た ものが世界であるならば、何処かで世界と自己の一体が見られそうなものだと思うが ね」

 甲「うん相即的なるものは常に唯一者の自己限定でなければならないんだ。内と外は 一つでなければならないんだ。その意味で我々はこのまま救済されていなければなら ないんだ。而し我々は自覚的存在としてこれを知らなければならないとする時、この 乖離は無限の距離を持って来るのだ」

 乙「それについて君はどう言うふうなものを考えているのかね」

 甲「深い宗教的体験を持たない僕は此処迄は進んで来てもこの超越者と自己について本当に確信を持って語る事は出来ないのだ。唯僕は僕なりに考えていることがあるので語ってみよう。自覚について最も深く考えた一人と言われるアウグスチヌスの神の現前の唯一局面としての永遠の今の如きものを考えているのだ。唯一局面としての歴史的現前を永遠の今として捉えたいと思うのだ。無限の過去を含み、未来をはぐくんでゆく歴史的現在を、この僕、そして君、数多くの彼の創造として捉えたいと思うのだ。歴史は常に生きている人間が創っていくものとして、現在より現在へ動いてゆく ものとして、歴史的現在は全存在の意味を持つものとして、永遠の顕現として捉えた いと思うのだ。前にも言ったように我々は自覚的として対象限定的であり、世界形成 的である。世界の中の一微塵にすぎない我々は、其の形成者として世界を内にもつのだ。世界は逆に我々の胸底にあるが故に我々は世界を見る事が出来るのだ。斯る意味に於いて我々は全存在に直接するのだ。」

 乙「そうとすると絶対の死の意味がなくなるのではないだろうか」

 甲「うん世界の面より見ればあるものは全て永遠の風景なのだ。而し見るものと見ら れるものが分れる時、死は絶対として我々は限りない悲しみとあきらめをもつのだ」

 乙「而見るものと見られたものに分れたものが世界に直に一つなのだろう」

 甲「うんその意味で生命は矛盾であり、自覚は絶対の矛盾の自覚だと思うんだ。而し 生命は一つだ、絶対の矛盾は絶対の一でなければならないんだ。世界に永遠を見ると言う事は本来永遠なるもの自己顕現でなければならないんだ。そうとすると絶対の死 そのものが永遠でなければならないん だ」

 乙「それは何ういう事かね」

 甲「僕は其処にキリストの復活とか、禅家の死の断崖に身を絶して絶後に蘇ると言っ たものに深い意味があると思うのだ。 刹那生滅、心身脱落、脱落心身だね。唯僕は観 念としてそう思うだけで言った通り深い体験を持たないので心地の風光につい語る事 が出来ないのだ」

 乙 「そうかね」

 甲「うん、西田先生が無人島へ行くならば歎異抄と臨済録を持って行くと言っておら れるので臨済録を読んだが一行もわからなかったよ」

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」