晩年作

 先日古美術商を営む某が、関雪の晩年作だと言って掛軸をもってきた。その話を沢近食堂で酒を呑み乍ら、主人の蕩翁と三人でしている裡に晩年作とは何かということ になった。晩年とは老境だ。死ぬ前だなぞ言い合った末、青くささのとれた円熟した境地だということに落ち着いた。

 私は別れてから青くささがとれるとは何ういうことかと考えた。たしか武者小路実篤氏も、鉄斎の六十才の頃の作品は見られない、而し八十頃の作品は驚く作りである、といったような事を書いておられたように思う。その円熟とは何ういうことなのであろうか。

 私達は目によって物の形を見る。而し目によって物の形があるのではない。物の形は目を超えたものである。私達は見る前から物があったと信ずる。目と物の形は相互に超越的である。而して物の形は目で見られる事によってあるのであり、目は物の形に対して働くのである。このことは目と物の形が更に高次なるものの内容としてあると言うことでなければならない。目を一方の極とし、物の形を一方の極として自己自身を創造してゆくものの内容としてあることでなければならない。私は断るものを我々の歴史的形成に求める事が出来ると思う。

 アンデスの山深く、今も原始的生活を営む人々は、白く輝く雪嶺を見ても、悪魔の棲家として恐怖の表情をもつそうである。我々はそれを壮麗と見る。この相違は何処から来るのであろうか。目に映るものは同じである。私はこの相違は、その背負う歴史の相違であると思う。私達の目は鳥羽僧上の目が、雪州の目が、応挙の目が、池大 雅の目が潜んで働くのである。私達の言葉には人麿の言葉が、紫式部の言葉が、芭蕉の言葉が潜んで働くのである。郷土が、祖国が創って来たものが働くのである。

 高次なるものとは、我々を超えたものであり乍ら、我々の目として働くこの生命であると思う。この生命が働くことによってこの私はあり、私の目はあり、そして物の形はある。ワイルドが「自然は芸術を模倣する」と言った如く、我々は作ることによって物の形を見てゆくのである。目と物の形が対立するのはこの限り無い歴史的時間より、生死するこの我を抽象して見るが故に外ならないと思う。物の形は人類的生命の見出でた形として、この我の目を超えるのである。而して目の奥底に還ることによって唯一生命に結び付くのである。生死するこの我を超えて、形が形を作ってゆく大なる生命の流れが真に働くものであり、大なる生命そのものとなることによって真個の自己はあるのである。

 形が形を作る大なる生命と言っても、生命一般というものがあるのではない。働くものはあく迄も個としてのこの我であり、汝である。私は青くさいとは、この我が自己の中に世界を見ようとする意志にあると思う。芭蕉が世界を見出だした如く、この我が世界を見ることなくして世界はない。而し自己は世界ではない。其処に創造者の苦闘はある。真に光を見んとする者程闇は深い。物の形をこの目で見なければならない。だがこの目は物の形ではない。而しこの苦闘は大なる生命が自己自身を実現せんとする意志である。深き生命の自己純化である。そして或る日、生命は自己純化を成し遂げ、この目は深大なるもの自身の目となるのである。私は晩年作はこの転換の日より としたいと思う。故に晩年作は人によって異なる。鉄斎は八十にして晩年作である。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」