情としての日本的形成

 古い本を引張り出して、ごろりと寝転んで読んでいると、こういう下りがあった。江戸 の或る豪商の家より出火した。折からの風に煽られて、火は見る見る内に街並へと拡がって行った。当主が茫然として火の行手を見ているところへ、息子が駆け寄って来て、「お父さん御安心下さい、土蔵の全ては完全に塞ぎました、これで大丈夫です。と言った。すると主人は、「馬鹿!!」と怒鳴って走り行き、土蔵のを全部開け放ち、塞いだ窓を尽く壊した。そして火の消え去った後、一物も残らず焼けた我家を眺めて、「これで世間様も許して下さるだろう。」と呟いた。というのである。

 世間様も許して下さるだろうとは、如何なることなのであろうか。私は世間とは、所謂 社会とは異なっているように思う。社会は我々を超えて、我々と対立する意味をもつのに対して、人と人とのつながり、関り合いの意味が大変濃いように思う。今此処に我と汝が関り合って生活をしているのである。世間知らずというのは、我と汝の関り合いを、上手に処理なし得ないものである。世間が狭いというのは、関り合う人が限られて少いということであり、理解してくれる人が少ないということである。私達は社会が許してくれるとか、社会が狭いという言葉をもたない。そのことは世間とは人と人との生活空間の意味をもつと思う。

 許してくれるとは、私は、それによってあるものがそれに背き、再びそれの中に容れら れることであると思う。この場合出火によって、多くの家を類焼せしめ、人々を困窮せしめたのが、世間をはみ出たことになるのであろう。そして着のみ着のままになったことによって惻隠の情をもち、怒りを少なくしてくれるであろうということであろう。

 世間を世間様というのは如何なることなのか。通常前にも書いた如く、世間知らずとか、世間が狭いとか、世間という言葉で表わされる。自分も其の中の一人である以 上当然の事である。而し世間様というのは自分と一線を画した言葉である。そしてそれは許して下さるにつながる言葉である。私は世間様というのは、其処に自分の存在の根元を見た言葉であると思う。世間は我と汝の無数の関り合いである。関り合いは我を超えて、無限の過去に遡り、未来に流れてゆく。我々はその中に生き、それによって生きる。其処に法が生れ、神や仏の出で来る地盤がある。併し世間様は神や法ではない。何処迄も人と人である。我と汝である。

 私は斯るものとして、世間とは心情的に形成せられた社会であるとおもう。心情と心情の結合から、新たな心情が生れる。そこに自ら全体的なものが生れる。全体とは秩序である。それは成文化されたものではない。お互いの心に流れ合うものであり、それによって我が生き汝が生きる心情のおのずからなる承認である。私は世間様とは、我々の心情の奥に出来た社会的心情とでも言うべきものではないかと思う。

 私が鎌の販売をしていた頃、出張先の宮崎市に吉田喜五郎商店というのがあった。その当主は古来の慣習を頑固に守り続ける人であった。他の人から聞いた話であるが、その主人はいつも、飯を食っている所を人に見せてはならない、もし見られてお客さんより美味いものを食っていたら、お客さんにすまない、と言っていたそうである。事実私も二、三度饗ばれたことがあるが、夏の暑い日でも障子が閉め切ってあった。この家は市内でも一、二を争う資産家として、当時の市長の娘を嫁に貰った程である。かくれて食う位ならどんな美味いものを御馳走して下さるのかと思ったら、味噌汁一椀に干魚の焼いたのが一匹であった。それを手拭片手に、汗を拭き乍ら食べるのである。私は戴き乍ら、資産をもつという意味を疑ったものである。

 併し彼は決して吝嗇ではなかった。寄附なんかは惜まず出していた。勿論まずいものを食うのが好みではなかったであろう。私は其処に情のつながりといったようなものが見られるのではないかと思う。客もその店に無ければ兎も角、他の店で買うことはしなかったようである。品物を通じての結合が一体感をもたらし、一体感が同一への欲求をもたらしたのではないかと思う。客よりうまいものを食っていてはいけないということも、この同一の欲求から来るのではないかと思う。

 世間知らずといわれる言葉も、この同一の感覚の欠除を言っているように思う。他者の気持をおしはかり、自己と他者の間に一つの状態を作り得ないものをいうように思う。あの人はまだ苦労が足らんと言われるのも、苦難の経験をもたないということでなくして、人との関り合いに圭角があるということのようである。

 私の住む田舎では、今では大分薄れてきたが裾分けという習慣がある。何か美味しいもの、珍しい食物が手に入ると近所隣へ少しずつ配るのである。貰った者は亦近所や知人に配るのである。私はそこに味覚に於て自己と他者の同一を実現しようとする、日本的あり方を見ることが出来るように思う。それは身体的であると共に、我の身体を超えて、我と汝の身体の同一をもとうとするのである。私は心情とは身体と身体が関り合う波動であるとおもう。

 一つ釜の飯を食ったという言葉がある。それは人と人との最も強い結合を表わす言葉である。私は日本人の結合は理念による結合ではなくして、より多く斯る身体的なものに根底を有するのではないかと思う。

 私達の若い頃、村には講というのがたくさんあった。伊勢講、お日待講、念仏講等である。それは多く血縁を基礎としているようであった。年に何回か講員が廻り持ちに講元となり、形式的な儀礼の後多くの時間を飲食に費していた。村には幾つもの講のグループがあり、大てい四、五人から七、八人位で構成されており、飲食はその紐帯を確めるものであった。盃のやりとりがはじまり、酔うて唄い、全員が体をゆすり乍ら唱和して、一同は満足して帰宅するのであった。

 私は日本の生命形成の根底に断るものがあるように思う。それは同一の体験亦は官能充足によって身体的一を実現するのである。伊勢講の行事として、四年目に一回のお伊勢参りがあった。私はその帰りを浄谷の浄土寺迄迎えに行った経験しかないのであるが、寺より村迄の間、酒を煽り、声張り上げて唄い、右に左に練って歩くのであった。それは多くの人ではなくて一つの波であった。おのずから波動が形造られてゆくのであった。

                                                                                                                                               波動とは多が動的に一ということである。この夏テレビで阿波踊りというのを見た。そ れは全く波であった。人の波というのではない。それは波を演出するのである。多数の人々が単純な動作を繰り返し繰り返し押し寄せて来るのである。人々は波の演出の中に陶酔してゆくのである。歌の囃しというのも斯かる波動を構成する一つの要素であった。祭りの太鼓なども波を描いて練られたようにおもう。そして私達もその練られることに興奮を覚えたものであった。

 汝は我に非ざるものであり、我は汝に非ざるものである。若しも我が汝であり、汝が我であるなれば我と汝というものはない。併し我と汝は人類として、他の動物と距てる同一をもつのでなければならない。人類は同一の生命機能をもつのである。斯かる同一に於て集団をもち得るのである。私は日本人は形相形成を自他分別の方向ではなく、同一の方向に見出して行ったのではないかと思う。自他分別の理性に於て世界を築くのではなく、汝が行為を介して身体的に繋がる方向に世界を見出して行ったのである。情念的な結合である。

 私は世間というのは斯るものに基盤を有するとおもう。世間様がゆるして下さるとは、 斯る結合の中に容れてもらえるということであると思う。昔私の村落でも村八分という制裁があったらしい。それは如何なる体罰でもなくて、結合の拒否だったのである。而してそれが最も苦痛を与える制裁であったということは、日本の社会構造が斯る結合の上に成り立っていたが故であると思う。世間とは斯る構造の拡散されたものであり、日本社会の特性は多く身体的結合の親縁性によるとおもう。

 身体は情緒的表出をもつ、身体的結合とは情緒的結合である。情緒的結合が強固であるためには、会食に於ては声が届き合い、盃を交す手が届き合い、鉢物への箸が届き合うところでなければならない。即ち講に見られた如く、五人乃至十人の小人数でなければならない。私はそこにおのずから世間の論理がはたらいているように思う。江戸時代に社会組織の下部構成として五人組が作られたというのも斯かるものに所以するとおもう。

 世間としての社会に最も尚ばれるものは当然人情であった。世間情がなきやなり立たぬと唄われ、人は情の下に棲むと言われ、情深い人は最も尊敬される人であった。逆に鋭い分別をもち、物事を組織づけてゆく人は冷たい人として敬遠された。冷たい、温いという身体感覚は、日本人にとって重要なる価値規準となったのである。私はここにも身体的なるものに基盤を有する日本的形としての、世間として展開して行ったものを見ることが出来るとおもう。

 南博氏はその著日本的自我(岩波新書)に於て、日本人の自我構造の一つのきわだった特徴として、主体性を欠く「自我不確実感」の存在ということを考えて来た。と書かれている。併し私は自我不確実感という言葉そのものが、西洋的自我の思考の上に立つものであって、日本的生命の形成の場に立って考えられたものではないと思う。そこには西洋的意味に於ける自我の不確実というのは避けることは出来ない。併し人間は自覚的生命として内面的発展をもつ、私は日本的自我を論ずる場合にも、日本人が形成し来ったものとの動的関係に於て捉えなければならないと思う。内面的発展はそれ自身一つの積極的意味をもつ、それは西洋的自我を逆に包み補完する意味をもったものである。全てあるものは一つの完結性をもつ。日本的形相は一つの完結をもつのであり、西洋的なるものの欠落としてあるのではない。日本的なるものが或る意味に於て、西洋的なるものの欠落としてあるのであれば、西洋的なるものは或る意味に於て日本的なるものの欠落としてあるのでなければならない。西洋的なるものが日本の停滞の救済であるのであれば、日本的なるものは、西洋の没落の救済でなければならない。交流は興隆である。

 情に於ての我とは他者との一体感である。自己があって他者と結びつくのではない。自他一なる中に自己があるのである。理性としての自己は、自己の中に世界をもつ、一体感に於ては世界の中の自己としてある。我と汝は対立するのではない。間柄として一つである。親の子、兄の弟、遊んでもらう人、教えてもらう人として一つである。理性に於ける我と汝は人格として対立する。それは一つの世界を形造るものとして対立する。それに対して結合として生命形成をもつ個我は無力である。而して一体感としての結合の燃焼は大である。そこが自己の存在根拠なるが故に身命を捨てゆくものをもつのである。私は近代日本の発展の底に斯る精神のはたらきがあったと共に、親分子分といった小さなやくざ的結合をもち易いものがあったと思う。

 西洋文化の論理的構成的であるに対して、日本は独自の文化を形成して来たと思う。それは何処迄も身体的一体感の方向に深めていったと思う。身体を物に表わす方向ではない、物の中に消してゆく方向である。与えられた身体の精妙を、物との動的な関りの中に見出すのである。物を外に見るのではない。いのちの現れ、いのちの関りとして動的な身体的生命に於て見るのである。馬術に於て鞍上人なく鞍下馬なしと言われた如く、剣術に於て無想剣と言われる如く、道具として離れたものが動きに於て一つとなるのである。自他不二として見られる心地の風景が神といわれるものであり、それに至る過程が道である。日本文化は道の文化であったということが出来るとおもう。それは作る文化ではなくして、修めておのずから成る文化である。

 東洋殊に日本に於ては飄逸とか無我ということを非常に重要視する。無我とか飄逸ということは、自我を捨て作為を捨てるということである。大きな宇宙的生命の中の一個として、その運びのままに生きるということである。勿論それは何も為さないということではない。我々の情熱努力も亦大なる生命の運びの中にあると観ずるのである。その実現の為に身を捨てるのである。飄逸とか無我とは遊離することではない。道の底に死するところにあるのである。死して生きたところが飄逸であり、無我である。我々の祖先は西洋的自我を小我として、相対立するものに地獄を見、解脱に極楽を見た。極楽は無我の風光である。無我は大我への参見であり、身体的一体的なるもの究極である。

 近代社会は個性として、自由意志としての西洋的自我を生んだ。それは新しい生産手段の発展に伴う必然の自覚であったということが出来る。個は個に対する、それは相互否定的である。相互否定的とは無限に動的であるということである。社会は否定の変革によって動いてゆくのである。個が個に対立するとは物を媒介とするということである。物の生産に於て我々は自由意志であり、物の所有、生産技術の所有に於て個は個に対する。私はそこに西洋文明が物質文明といわれた所以があると思う。而して人間は外に自己を物として表わしたものである。物の生産なくして社会はない。社会の発展とは物の生産の発展である。発展のサイクルに入った社会はその展開を止めようがない。近代社会は我々に西洋的自我への転生を要求するのである。個性と自由意志に立脚点を求めるのである。南博氏の自我不確実感とは、波動として、一体感として形成し来った日本的形成として生命が西洋的自我に転生せんとする軌りであるとおもう。我々は新たな社会構造の主体として生きねばないのである。西洋的自我を透過しなければならないのである。自我不在感としての軌りをもつということは、西洋的自我に生きねばならないということである。

 生命は永遠なるものが瞬間的なるものであり、瞬間的なるものが永遠なるものであり、全体的なるものが個的なるものであり、個的なるものが全体的なるものとして絶対の矛盾としてある。絶対の矛盾として一つの形相は行き詰らなければならない。全体的な形相はその極個的なるものを失なうことによって崩壊し、個的なる形相はその極全体的なるものを失うことによって崩壊するのである。前者に於ては無気力となり、後者に於ては無目的となるのである。物に媒介される個性として、自由意志としての西洋的自我は、自由の故に無目的的となるのである。物に対するものは身体的欲求である。そこに最大多数の最大快楽が人生の目的の如き考えが生れてくる。併し快楽は官能的瞬間的のものであり、人性の本源を見失わせるものである。瞬間的なるものは永遠に映すことによって瞬間である。永遠を見るなき瞬間は瞬間の喪失である。そこに退廃がある。私は近代社会の抱える問題とは斯る退廃であるとおもう。

 私は日本的一体感の中に断るものを救済する原理があるように思う。勿論それは伊勢講の如きものを復活させよというのではない。一体感は対立矛盾の否定である。前にも述べた如くそこには発展や変革はない。情的結合の社会は停滞社会である。我々が近代としての国際社会に生きるには、どうしても西洋的自我を獲得しなければならない。併し西洋的自我は今見た如く既に終末的である。単に西洋的自我の中に入ってゆく限り、我々は徒に崩壊の中に入ってゆくことになりかねない。私達が西洋的自我を獲得するとは、日本的形成の中に西洋的自我を宿すことでなければならない。そこに新しい世界創造の原理が生れるのである。歴史は常に一つの精神が発展し完成することによって崩壊し、それを継承した新たな精神が発展し完成する繰り返しであった。今や日本は新たなる精神に於て世界を発展さすべき使命を有すと言わなければならない。

 この頃よく人間性の回復とか研究とかという本が書店に見られ、絆とか出会いを大切にしようという標語が方々に掲げられている。出会いというのは刹那の交情である。我と汝の一体感の把握である。それは私達にとって忘れたものの呼び返しである。身体を直接与えられたものとして、身体と身体の関り合いに生活の基盤を据えようとするのである。そこにあるのは触れ合うぬくもりであり、情の結合の一体である。併し一度び西洋的自我の洗礼を受けた現代日本は最早再び旧に還ることは出来ない。私達はその形相の如何なるものかを知ることは出来ない。形相は世界が自己矛盾とその救済として世界自身が決定するものである。

附 記

 いつであったか新聞で校内暴力の座談会があった。そのとき学生は小グループに於ては強い結束をもつが、現在の学校の大組織には白けム-ドであると書かれていた。私は今これを書き乍ら日本人には抜くべからざる情的結合の習性があるように思う。これを如何に普遍社会に結合するかに解決があるとおもう。

長谷川利春「初めと終わりを結ぶもの」