リズムについての概要

 生命は形をもつ。形をもつものが自ら動くのは飛躍的である。飛躍的とは静と動の相反するものをもつということである。例えば私達が歩くのは一方の足を出し、止まって亦一方の足を出す、この反復が私はリズムの原型であると思う。尺取虫もぼうふらもリズムをもつということが出来る。

 生命の機能が複雑となるに随って動きは多様となる。即ちリズムは変化をもつ。尺 取り虫より蛙、蛙より犬は複雑多様となる。

 これ等の動物に対して人は働くものである。驚きは目的をもつ。働くとは内に技術をもち、外に物となることである。斯る技術は石器、青銅器、鉄器の時代と、生死するこの我々の生命をはるか超えた長い時間によって創り出されたものである。私達が働くとはこのながい時間を自己の内にもつということである。はかり知れない祖先の働きを伝承しているということである。私達は永遠なるものによってあり、私達が働くとは永遠なるものが働くのであると知るのが我々の自覚である。言葉は長い歴史の中に生まれたものである。その言葉によって自己を知るとは、永遠なるものに映して自己があるということである。

 芸術のリズムはこの永遠なるものが働くということであると思う。物は我々の生活の用に立つものであると同時に、永遠なるものが作ったものとして形は永遠の相を表す。永遠の相を表すとは、長い歴史としての時代の変化発展が、現代のこの所のこの我によって凝縮し表れているということである。

 我々を超え、我々がそれによってあるものを我々の祖先は神として捉えた。芸術の発端は神の姿を現すということにあった。踊も音楽も詩も、神に祈り、神を現して、神の恵みを求めんとするところより生まれたということが出来る。而し神の前にひれ伏している間は生命は真の己れを現わす事は出来なかった。

 近代的自覚は超越的なるものが内在的であるとして打樹てられた。物の創造は人間 の創造として、我々とは自由意志として神を放逐した。神の慈愛、威厳のみでなく、隣人の哀しげな目も永遠の相をもつものであることを見いだした。人間が、そして裸体が宇宙生命の到達として、出発点とし捉えられた。内が外として、生命がそれ自体として芸術は其処に本当のリズムを持ったということが出来る。

 私は最初にリズムは飛躍として静と動の反復であると言った。私はこの相反する二つの方向に様々な芸術を見る事が出来ると思う。最も動的なるものとして音楽、そして舞踊、声楽など動的リズムを持つと思う。実用としての建築などは静的なるリズムを持つと言い得ると思う。陶器はその素材の可塑性に於いて建築より自由なるも静的 なるものと思う。絵画、彫刻は対象を写すものとして、民族性、時代性、作者の個性 によるところ大と思う。ともあれリズムは生命の本質、自己そのものの現われである と思う。

長谷川利春「満70才記念 随想・小論集」